ホーム(都道府県の選択)東京都の神社にもどる

神田神社(東京都千代田区外神田)

作成日 平成22年6月27日
追記日 ────────
よみ  かんだじんじゃ
所在地  東京都千代田区外神田2-16-2(北緯35度42分7秒、東経139度46分5秒)
HP  神田明神 / 東京都神社庁 神社紹介 神田神社
祭神  大己貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 平将門命(たいらのまさかどのみこと)
由緒  准勅祭社、府社、別表神社。
 境内の掲示によると、(縦書き)
江戸総鎮守神田明神(正式名称・神田神社)
【氏子区域】(略)
【御祭神】(略)
【御由緒】
 社殿によると天平二年(730)、武蔵国豊島群芝崎村(現・千代田区大手町)に創建されました。延慶二年(1309)、東国の英雄で庶民たちに仰がれた平将門が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
 慶長五年の関ヶ原の戦いで、当社では徳川家康公の戦勝祈願をしお守を授与したところ見事に勝利を得ました。これ以降、家康公の合戦勝利に因み縁起のお守『勝守(かちまもり)』を授与するようになり、現在でも多くの参拝者に授与しております。江戸幕府が開かれると幕府の深く尊崇するところとなり、元和二年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷座し幕府により社殿が造営されました。江戸時代を通じて江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬されました。
 明治時代に入り東京・皇城の守護神として准勅祭社・東京府社に定められ、明治七年(1874)に明治天皇が親しく御参拝になりました。大正時代、関東大震災による社殿焼失後、昭和九年に氏子崇敬者の浄財により画期的な権現造の鉄筋コンクリート・総漆塗の社殿が造営されました。
 昭和二十年、東京大空襲が神田・日本橋界隈を直撃しましたが、社殿はわずかな損傷のみで戦災を耐えぬき戦災で苦しむ人々に勇気と希望を与えました。
 戦後、随神門などの建造物が再建され江戸時代にも劣らぬ江戸東京を代表する神社としての景観を整えるにいたりました。さらに平成七年より「平成の御造替事業」として社殿等の塗替・修復及び資料館の造営等が大規模に行われ、平成十七年には境内の整備事業が実施され、鳳凰殿や祖霊社などが新たに造営されました。
【境内のご案内】(略)
【神田祭】(略)
 社伝によると、創建したのは出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)としてゐる。
 明治天皇の参拝にあたって平将門は摂社将門神社に遷座し、代りに少彦名命が大洗磯前神社から勧請されたといふ。平将門は、昭和五十九年(1984)に再び本殿に奉祀されてゐる。
参拝日 平成21年9月21日(月)
雑記  門前の甘酒屋(天野屋)で袋詰めの甘酒を購入。酒粕で甘くしたのを冬には好んで飲んでゐたので、米を糖化してつくる甘酒は 甘みが薄く物足りなかったが、冬には麹を購入してきて何回かつくった。気に入ってしまったのだ。おかげで体重が一時増へてしまった。


平成21年9月21日撮影

平成21年9月21日撮影

平成21年9月21日撮影


・R01.12.08 リンク修正(東京都神社庁 神田神社)


inserted by FC2 system