よみ
| みょうぎじんじゃ
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参拝日
| 平成21年5月4日(月)
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所在地
| 東京都豊島区駒込3−16−16(北緯35度44分18秒、東経139度44分42秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
| 妙義神社HP
東京都神社庁 妙義神社
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祭神
| 日本武尊(やまとたけるのみこと)
高御産霊神(たかみむすびのかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
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由緒
| 境内の掲示板によると、
妙義神社
当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政十一年(1828)に成立した『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉二年(651)五月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
くだって文明三年(1471)五月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
続いて道灌は、文明九年の豊島勘解由左衛門(かげゆざえもん)との戦いの際、さらに同十一年の千葉孝胤(たかたね)攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521〜27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄十二年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573〜91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波乱の時期でもあった。
境内には、寛永十九年(1642)十一月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の振興の拠点となっていたことが推察される。
平成九年三月
東京都豊島区教育委員会
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雑記
| この日は、駒込駅から王子駅まで散歩した。
妙義神社webには、戦災で焼失した社宝などの紹介があるなど充実してゐる。
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