ホーム(都道府県の選択)東京都の神社にもどる

妙義神社(東京都豊島区駒込)

作成日 平成22年3月22日
追記日 平成27年12月18日
よみ  みょうぎじんじゃ 地理院地図
参拝日 平成21年5月4日(月)
所在地  東京都豊島区駒込3−16−16(北緯35度44分18秒、東経139度44分42秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  妙義神社HP  東京都神社庁 妙義神社
祭神  日本武尊(やまとたけるのみこと)
 高御産霊神(たかみむすびのかみ)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
 応神天皇(おうじんてんのう)
由緒  境内の掲示板によると、
妙義神社

 当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政十一年(1828)に成立した『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉二年(651)五月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
 くだって文明三年(1471)五月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明九年の豊島勘解由左衛門(かげゆざえもん)との戦いの際、さらに同十一年の千葉孝胤(たかたね)攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521〜27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄十二年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573〜91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波乱の時期でもあった。
 境内には、寛永十九年(1642)十一月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の振興の拠点となっていたことが推察される。
  平成九年三月
東京都豊島区教育委員会
雑記  この日は、駒込駅から王子駅まで散歩した。

 妙義神社webには、戦災で焼失した社宝などの紹介があるなど充実してゐる。


平成21年5月4日撮影

平成21年5月4日撮影

・27.12.18 妙義神社HP掲載(H27年7月開設)、地理院地図掲載
・R01.12.08 リンク修正(東京神社庁 妙義神社)


inserted by FC2 system