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東京水天宮(東京都中央区日本橋蛎殻町)

作成日 平成22年7月10日
追記日 平成28年4月9日
よみ  すいてんぐう
所在地  中央区日本橋蠣殻町2-4-1(北緯35度40分59秒、東経139度46分54秒)
HP  水天宮 / 東京都神社庁 神社紹介 水天宮
祭神  天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
 安徳天皇(あんとくてんのう)
 建礼門院(けんれいもんいん)
 二位ノ尼(にいのあま)
由緒 境内の掲示板によると、(縦書)
     御 由 緒
御祭神 天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
    安徳天皇 第八十一代
    建礼門院 高倉天皇の中宮、安徳天皇の母君 御名 徳子
    二位ノ尼 平清盛の妻 御名 時子 安徳天皇の祖母 建礼門院の母
 当社は文政元年(1818)港区赤羽に在った有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳公が領地(福岡県久留米市)の水天宮の 御分霊を神主に命じて藩邸内に御分社を祀らせたのが創めです。久留米の水天宮は今からおよそ七百年ほど前に創建されたと 伝えられております。彼の壇之浦の戦で敗れた平家の女官の一人が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門とともに 入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのが創めです。
江戸時代の水天宮は藩邸内に在った為、庶民は普段参拝できず門外より賽銭を投げ参拝したと言います。ただし、毎月 五日の縁日に限り殿様の特別の計らいにより藩邸が開放され参拝を許されました。その当時ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を ならす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が 広まりました。その当時の水天宮の賑わいを表す流行り言葉に”情けありまの水天宮”という洒落言葉があった程です。
明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治五年十一月一日現在の蛎殻町に御鎮座致しました。
関東大震災では神社も被災しましたが、ご神体は隅田川に架かる「新大橋」に避難し難を逃れました。その後ご復興も相成り、 昭和五年流れ造の社殿が完成、時移り昭和四十二年現在の権現造りの社殿となりました。
参拝日 平成21年10月16日(金)
雑記  妻の知人の安産を願って参拝するといふので同行。南側の通から階段を上って境内に入る。一階部分は駐車場となって ゐるやうだ。御朱印は、境内社の弁天様のも用意されてゐるとのこと。次の機会にして、水天宮のだけ頂いた。
 福岡県久留米市の水天宮(久留米水天宮)を総本社としてゐる。


平成21年10月16日撮影

平成21年10月16日撮影

仮宮鎮座(日本橋浜町2-30-3)

完成間近な社殿。H28.4.4に新社殿に復座。

・28.04.09 仮宮時と建設終盤の社殿写真を追加
・R01.12.08 リンク修正(東京神社庁水天宮)


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