よみ
| こあみ じんじゃ
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所在地
| 日本橋小網町16-23 (北緯35度41分3秒、東経139度46分50秒)
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HP
| 東京都神社庁 小網神社
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祭神
| 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)[稲荷大神]
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)[辨財天]
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由緒
| 旧村社。境内の掲示板によると、(縦書)
武蔵国 古社 小網神社の概要
由緒
当神社は、伊勢神宮を本宗として文正元年(1466)今より約550年ほど前に、商売繁盛、疫病沈静の神として鎮座した。
初めは、小網山稲荷院福寿寺を別当寺とした稲荷神社であった。その後昭和初期までは、小網稲荷神社と号し、
江戸時代から稲荷堀稲荷(とうかんぼりいなり)とも称されていた。その後太田道灌は、当社への崇敬篤く時折参拝し、
社地を奉じ、社殿を造営したといわれる。社名も公の命名によると伝えられる。
さて、戦時下では、当社の「強運厄除守」を奉戴した者の多くが、戦地より無事帰還したことから、都内は勿論、
各地より強運厄除の御神徳を戴き、自らの運を強め、豊かで明るい生活を求める参拝者で賑わう。
以下主な祭神・祭儀ほか略
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神社庁の平成祭りデータによると、
恵心僧都(源信、942-1017、)の開基による観世音と弁財天とを安置する万福庵があり、1466年に疫病が流行ったとき、
網師の翁が海上で稲穂を得て万福庵で数日を過ごした。
恵心僧都が庵主の夢枕に立ち、その翁を稲荷大明神として勧請すれば疫病は消えるであろうと告げた。
翌朝に翁の姿は消えていたが、翁を小網稲荷大明神と称えて祀ったところ疫病が静まった。
後にその神徳を聞いた太田道灌が社地を献じ小網山稲荷院万福寺と名付けた。
と、あります。
(江戸名所図会と神社散策 http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/zue/koami/index.html より)
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参拝日
| 平成21年10月25日(日)
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雑記
| 小さな神社で、たいしたこと無いのかと思ってゐたら、創建は500年以上も前だし、昭和4年に造営された社殿と神楽殿は
中央区民文化財に登録されてゐるといふ。霊験あらたかで歴史のある神社だった。
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