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住吉神社(東京都中央区佃)

作成日 平成24年9月30日
追記日 ────────
よみ  すみよしじんじゃ
所在地  中央区佃1-1-14 (北緯35度40分4.5秒  東経139度46分59.5秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  住吉神社  Wikipedia
祭神  住吉三神
  底筒之男命(そこつつのおのみこと)
  中筒之男命(なかつつのおのみこと)
  表筒之男命(うわつつのおのみこと)
 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと 神功皇后)
 東照御親命(あずまてるみおやのみこと 徳川家康)
由緒 旧郷社  境内の掲示版に次のようにある。
住吉神社縁起

御祭神 (中略)
例祭  八月六日

 「西の海阿波伎の原の潮路より顕れ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、 筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の三柱 の神です。
 神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御守護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国 西成郡簑島(大坂佃)にお寄りになり住吉三神を遙拝になりました。これが大阪佃の住吉の社(田簑神社)の起源です。
 遙か後、天正年間に徳川家康公が摂津の多田の廟に参詣の時、田簑島(大阪佃)の漁夫達が漁船をもって神崎川の 渡船を勤めた由縁で家康公がこの島の住吉の社(田簑神社)にも参詣し、家康公の漁業の傍ら田も作れとの事で、村名 を田蓑から佃に改めさせました。そして田蓑の名を残すため社名を住吉神社から田蓑神社へと改めました。
 天正十八年(1590)家康公が関東降下の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社(田蓑神社)の 神職平岡正大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉載して江戸に下り、寛永年間に幕府より鉄砲州向いの干潟を賜り、築島 工事を起し、正保二年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保三年(1646)六月二十九日、 住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです。
 佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を 集めました。
 その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋立てが行われ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。


 境内社の龍神社について次のやうな掲示がある
龍神社
龍姫大神(たつひめのおおかみ 豊玉姫神)、於迦美大神(おがみのおおかみ)、竜王弁財天(りゅうおうべんざいてん)
 文政五年住吉神社の境内に水を司る神、龍姫大神(豊玉姫神)が龍神社として創建されました。その後佃島に白蛇が現れ、 人々はこれを龍神(於迦美大神)と崇め佃の町の中に祠を建てて祭りました。しかしこの祠は漁師が網を渋釜で煮る作業場の 近くにあったため火熱の害を受け易く、ある時網元の夢枕に祭神が現れ、住吉神社の境内へ移りたいとの神託(神のお告げ)が ありました。これを受けて天保九年(1838)に住吉神社内社の龍神社に合祀されました。翌年になると日本橋老舗素木屋の 守護神として祀られていた大弁財天の御神徳が大きすぎるため、持ちきれず龍神社へと合わせて祀られました。龍神社と 大弁財天を合わせて「竜王弁財天」とお呼びするようになり、今日では開運出世・金運上昇・商売繁盛・学業成就・芸能達者・ 病気平癒の御神徳を持つ神として、崇敬を集めています。また弁財天の縁日が「巳の日」であることから、多くの方々がこの日に 参詣しました。現在龍神社の例祭は「さくら祭り」期間中の三月下旬ころ行われます。
参拝日  平成23年11月20日(日)
雑記  境内には、入船稲荷神社(明治二年奉祀)、船魂神社(文久三年奉祀)、疱瘡神社、疫神社、龍神社、鰹塚(昭和二十八年建立)がある。今日、これを書いて ゐる際に調べたら、龍神社の御朱印があるのが判った。佃島では、他の神社には寄らなかったので、又の機会に頂いてこよう。
 例祭は三年に一度、本祭が行はれる。


平成23年11月20日撮影

平成23年11月20日撮影

平成23年11月20日撮影 陶製



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