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福徳神社(東京都中央区日本橋)

作成日 平成29年7月15日
よみ   地理院地図
参拝日  平成28年10月22日(土)
所在地  中央区日本橋室町2-4-14 (北緯35度41分14.06秒 東経139度46分27.98秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  当社HP
祭神  主祭神 倉稲魂命〈うかのみたまのみこと〉
 相殿  天穂日命〈あめのほひのみこと〉
     大己貴命〈おおむなちのみこと〉
     少名彦命〈すくなひこなのみこと〉
     事代主命〈ことしろぬしのみこと〉
     三穂津媛命〈みほつひめのみこと〉
 江戸時代前後に合祀
     太田道灌〈おおたどうかん〉
     弁財天〈べんざいてん〉
     徳川家康〈とくがわいえやす〉
由緒  境内にある碑には次のやうにある。
 福徳神社由緒
当社伝来の稲荷森塚碑文によれば、九世紀後半、当地は福徳村と呼ばれ、穀物・食物を司る稲荷神が鎮守の森に懐かれて鎮座していた。福徳村の稲荷は往古より、源義家、太田道灌ら武将の尊崇を受け、ことに最初の江戸城を築いた道灌との縁は深く、彼の神霊は当社に合祀されている。徳川家康は天正十八年江戸入部直後に当社を参詣、二代将軍秀忠も慶長十九年に参詣し「福徳とはめでたい神号だ」と称賛し、また当時の福徳稲荷の椚の皮付き鳥居(黒木鳥居)から春の若芽が生えているのを見て「芽吹稲荷」の名を与えた。秀忠は江戸城内の弁財天を合祀し、社地を三百三十坪と公定するなど当社を篤く尊崇した事跡が伝わっている。
その後、江戸の町の発展と度重なる火災や社家の事情などにより境内地をほとんど失い、一時は消滅の危機に瀕した。それでも氏子有志が福徳神社の祭祀を継承してきた結果、平成二十六年秋、日本橋地域諸氏の尽力により往時の姿を彷彿とさせる境内・社殿が再興されるに至った。
雑記  東京駅から北北東へ0.9km、地下鉄銀座線の三越前駅の東すぐにある。

 三井不動産のテレビのコマーシャルで当社が撮影の場やテーマに使われてゐた。
 同社のニュースリリース(1)によると、平成26年年10月23日に社殿竣工し遷座された。

写真


新築された覆殿の中に本殿がおさまってゐる

薬祖神社との間には樹木のある空間が設けられてゐる

脚注
  1.  平成29年7月10日閲覧 三井不動産(株)ニュースリリース 日本橋における新たな「地域コミュニティの核」が誕生  「福徳神社」竣工・「(仮称)福徳の森」概要決定


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