ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

中津神社(神奈川県愛川町田代)

作成日 平成28年7月18日
よみ  なかつじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成27年9月27日(日)
所在地  愛川町田代332 (北緯35度31分34.21秒 東経139度17分19.91秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 中津神社
祭神  大日孁命 ( おおひるめのみこと )
由緒  社頭に次のような掲示がある。
神社の由緒

勧請年月不詳なるも本神社は文治の頃より存在せること記録によりて明らかなり(文治年間、後鳥羽時代で約811年前)その後此の地毛利の庄たり、 長亨年中北條長氏伊豆に興り其の勢い、本州に盛なり、弘治3乙卯年八月本村及び近傍の其臣内藤下野守秀勝の所領となる、依て内藤氏は字、 上田代富士山麓なる天然の要地を囲み白を築きて居住す、而して本神社を氏神として信仰せられたり、内藤氏居を本地に定めらるるや次第に住民も増し、 神社の尊厳を高め祭祀の方法も定まれり、往時h中津川清流の中心にして、孤嶽をなしており小嶽明神と唱え、御祭神は、大日孁命を祀り旧田代村の総鎮守たり。
境内には東照宮、八坂神社、稲荷社、金毘羅社の四社を祀る 東照宮は天正年中(423年前)入国の節、又左衛門外二名なるもの三河国より供仕の由緒により勧請、 明治六年示達に基づき部内に存在せる八幡神社、日枝神社、浅間神社、蔵王神社の四社を合祀し、祭祀の方法を確立し、永遠維持の基礎を定めて、 中津神社と改称され殊に合祀社の内、八幡神社、浅間神社は、内藤氏の守護神にて武運長久を祈願せられ、特に八幡神社には二石の御朱印を下し賜った。
又当社は中津が流域の中心にし孤嶽を残し中州をなして曾って洪水の害を受けた事なし、中津の称これより来る。
爾来、諸般の設備ととのい、基本財産確立せるにより大正四年三月二十三日神奈川県告示を以って村社に昇格する。戦後昭和二十一年八月一日届出により、 宗教法人となる。
 平成八年七月吉日
     中津神社


(参考  長亨:1487〜1489年  弘治3年:1557年)
雑記  愛川町役場から西へ2.9kmのところにある。
 境内社に稲荷社・天満社がある。また、祭祀されてゐるのか判らないが御嶽神社(石祠二基、大正と昭和の年号があるので合祀社蔵王神社とは別と思ふ)があった。


拝殿の装飾

本殿正面


inserted by FC2 system