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若宮八幡社(神奈川県愛川町中津)

作成日 平成28年8月12日
よみ 地理院地図
参拝日  平成27年10月12日(月)
所在地  愛川町中津5849-2あたり (北緯35度30分24.82秒 東経139度19分57.68秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP
祭神  
由緒  新編相模国風土記稿巻之五十七の半縄村の条にある「若宮八幡社」は当社のことだらうか。
「若宮八幡社 古碑二基を神体とす(一は文和二年二月日、一は梵字のみを刻す)当社再造の棟札六枚あり(承応元年巳後の物なり)村持」

 ( ・文和二年:1353年  ・承応元年:1652年 )

 昭和44年に現社殿が建築されてゐる。
雑記  中津川左岸側の段丘への斜面途中に鎮座してゐる。
 町による案内板があり、次の様にある。
太田善太夫の陣屋跡(おおたぜんだゆう)

 徳川家康の旗本、太田善太夫吉正の陣屋跡である。
 善太夫は元和元年(1615)に所領としてこの地を受け、若宮5800番地一帯に陣屋を構えたと伝わる。現在その地は、「陣屋跡」と呼ばれているが、明確な遺構は見当らない。かつては用水跡・馬場などがあったという。
 わずかに残るのは、現在、太田氏ゆかりの若宮八幡社に移されている『力石』である。元は陣屋跡にあった石の重さは百貫目(375キロ)ほどといわれ、草相撲のとき、この力石に灯明を献ずると勝つという信仰があった。
 太田氏一族のこの地の支配は元和元年から元禄十年(1697)までの八十二年間続いた。
   昭和五十七年三月一日
        愛川町教育委員会

 境内には力石が置かれてゐる。力石の台座にある碑文は次のやう。
善太夫の力石

徳川家康の旗本太田善太夫吉正は、元和元(1615)年に棚沢村を拝領、陣屋を現在の若宮5800番地に構え、その守護神としてこの若宮八幡社を篤く崇敬した。
 この力石は「善太夫の力石」と称され、太田氏の事績と共に久しく陣屋跡にその名残を止めていたが、近年砂利採取等のためその所在を失したので、改めてゆかりの浄域に移し、後世への記念とした。
背面の碑誌によると、昭和52年四月七日例祭に合せて設置した旨記されてゐる。

 また、前出の風土記稿には、力石について次のやうに記載がある。
「太田善太夫吉正陣屋蹟 西方にあり、吉正元和元年当所を拝賜したれば其頃の造営なるべし、夫より子孫元禄十年迄知行し、(太田氏元禄十年の取筒帳に陣屋一ヶ所と載す)十一年遷替の後廃して、十三年縄入(七畝十一歩と云)あり、今村民の宅地となれり、爰に善太夫の力石と唱ふるあり(重さ百貫目許)」


力石


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