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八菅神社(神奈川県愛川町八菅山)

作成日 平成28年8月20日
よみ  はすげじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成27年10月12日(月)
所在地  愛川町八菅山139 (北緯35度30分45.13秒 東経139度19分24.31秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八菅神社  Wikipedia:八菅神社
祭神  国常立命 ( くにとこたちのみこと )
 伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
 誉田別命 ( ほんだわけのみこと )
 金山毘古命 ( かなやまびこのみこと )
 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 天忍穂耳命 ( おめのおしほみみのみこと )
由緒  境内の案内板には次のやうにある。
八菅神社(八菅山七社権現)

   国常立命  伊邪那岐命
祭神 金山毘古命 誉田別命
   大己貴命  伊邪那美命
   日本武命
 八菅神社の祭神は、日本武尊と役の小角(役の行者)によって七神が祀られた。これを総称して八菅山七社権現といった。そして信仰の対象は日本固有の神と仏菩薩とは一体であるという思想にもとづいてまつられた社でこの八菅の霊地を護持する人たちを修験(法印)といい山内の院や坊に拠っていた。
 源頼朝の大日堂寄進、足利尊氏による社頭の再建、足利持氏の再興で一山の伽藍が整ったが、永正二年本社、諸堂が兵火で失った。  その後天文十年再建、天正十九年には徳川家康より社額を給せられた。
 やがて明治維新の神仏分離令により仏教関係すべてが禁じられ神のみを祀った八菅神社として発足、修験の人達はみなこの地に帰農した。

 ・永正二年:1505年   ・天文十年:1541年
 ・七社権現は、熊野、箱根、蔵王、八幡、山王、白山、伊豆の七所の権現
雑記  写真の三殿の他に、「證誠殿 国常立命」、「妙高殿 大巳貴命」「玉函殿 伊弉冉尊」「走湯殿 天忍穂耳命」の表示が確認できた。覆殿の中で見渡せず七社の位置は、新編相模国風土記稿に記載されてゐる配置と異なってゐるやうに思へるが、不確か。正月三が日か例祭日には覆殿の扉を開けてくれるのだらう。宝物館の会館日や絵馬掛けがあり何十枚かが掛けられてゐたから。

 證誠殿:熊野権現、金峯殿:蔵王権現、誉田殿:八幡大菩薩、妙高殿:山王権現、妙理殿:白山権現、走湯殿:伊豆権現、にあたるやうだ。

 昭和50年に建てられた宝物館がある。公開は正月三が日と例祭日(3月28日)。[1]

 修験の行所は、30箇所あり、1.八菅山、2.幣山(石神社がある)、3.屋形山(愛宕神社があった)、5.塩川の谷(塩川神社がある。未参拝)、29.大山(大山阿夫利神社がある)、30.大山不動、といふ。[2]

 別当寺の勝光寺の大伽藍は、明治18年の八菅大火で焼失したといふ。


横浜貿易新報社による「縣下名勝史蹟四十五佳選」の碑(昭和10年投票)

覆殿

覆殿の中(一部)。手前から「金峯殿 金山彦命」「妙理殿 伊弉諾尊」「誉田 誉田別命」。

脚注
  1.  平成28年8月15日閲覧 國學院大學大学院の神社博物館 八菅神社・宝物館
  2.  平成28年8月15日閲覧 時空散歩 相模・八菅修験の行者道散歩


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