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下箕輪 地神社(神奈川県愛川町角田)

作成日 平成28年9月10日
よみ  ちじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成27年10月18日(日)
所在地  愛川町角田3035 (北緯35度31分44.68秒 東経139度19分9.56秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 地神社
祭神  填安毘売命 ( はにやすひめのみこと )
由緒   相摸国風土記稿には、「小名箕輪の鎮守なり。本地大日の銅像を安ず。寛延二年、地頭川勝隆雄の撰せる縁起に拠に、当社及び山神稲荷(共に今末社となる)の三社明応九年の洪水に社頭流出して神体を失ふ。遙の後寛延元年に至り、村民(富士左衛門)新田を修営し、地を穿ち本寺仏を得たり。即爰に安ずと云。村民持。末社 山神 稲荷。鐘楼 寛政六年の鋳造をかく」とある。
雑記  段丘崖の下にある。当社から東へ200m程の段丘上には町役場がある。

お社の向拝には「地神社再建の誌」と共に「地神社改築の誌」(縦書)が掲示されてゐる。
地神社改築の誌

昭和四十七年(1972)七月十三日襲来の集中豪雨に因って裏山の土砂崩れの為、一瞬にして神社が倒壊し歴史的な文化財としての中宮も大破し、氏子の驚愕心痛は其の極みに達す
幸ひにして御神体は事無きを得、又人畜の被害も無く、この災禍は地神社様の一身の犠牲によつて箕輪地区住民の身代りとなり生命財産を御守護せられたるものと深く感銘するものである。爾来両三年裏山の砂防工事完了と共に氏子各位の敬神の念厚く再建の積極的な声と共に委員会が編成され氏子の率先的協力、特に建設費拠出に当つては予想を上回る浄財を仰ぎ昭和五十年五月本格的な再建に着手し施工に当つては森工務店及び関係業者の私情を離れた献身的工事により茲に再建竣工を見たるは誠に喜こびこれにす過ぐるものあらず深く関係各位に謝辞を惜しまぬものである。
約六百年に及ぶと謂われる歴史的な地神社の改築成つた現在、思ひを我々祖先の遺徳に偲び悲しみに喜こびに合掌したであろう素朴なる精神に立返り地神を心の寄処として和の気持にふれ合つて理屈なしに清い心に立戻り老ひも若きも伝統を守り安泰を祈り自然の美しさが何時迠も消えることなく人間の生ける喜こびと安らぎを持続出来得れば、将に神の尊さその有難さに唯々、頭を下げ無心の境地となり身を修むるの域とするものである
粧ひも新たなる社におわす神々よ、永久に我等と共に在つて災害、病魔、貧苦に救ひの手を差延べられ給ひて、御招恵下され幾世迠も御加護あられんことを

    新たなるやしろを造りとこしへに
      村の栄のつきぬ祈りを

  昭和五十年九月吉日
  •  鳥居は昭和33年、狛犬は、昭和52年の奉納。
  •  鐘楼があり、江戸時代末期に鋳造されたと思はれる鐘があったが太平洋戦争で供出し平成元年再建されてゐる。
  •  ふるさとの木に指定された大きなイチョウがある。推定樹齢200年、樹高29m、胸高周囲4.0m。
  •  境内社があり、祠内に狐(狛犬)があることから稲荷社と思はれる。


社殿内の本殿


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