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作成日 平成21年9月5日 |
追記日 ──────── |
よみ | せき じんじゃ |
厚木市長谷1611 (北緯35度26分6秒、東経139度19分39秒) | |
HP | ─ 神奈川県神社庁 神社詳細 堰神社 |
祭神 | 水分神 ( みくまりのかみ ) |
由緒 | 明治六年村社。 堰神社の名称は、玉川の用水堰に身を沈めて村の干ばつを救った山伏の霊を祀ったことに由来するといふ。入水した山伏の衣を埋めたところと伝へられる 「堰神社旧跡衣塚霊場」の碑があるといふ。 |
参拝日 | 平成20年12月13日(土) |
雑記 | 自宅から自転車で玉川沿いに北へ遡った。堰神社、小野神社、子安神社と参拝してきた。そのうちの一社目。
石碑が多い。堰神社改築記念 御縁起(大正六年)、日露日独戦役祈念碑(大正六年)、長谷人形座之碑(昭和六十一年)、嘉永三年建立の鳥居崩壊後の再建(平成元年)、 御縁起は、読めない、識学な方に訳してもらはねば。碑の裏面には宮殿改築を期に正確な縁起を残すため氏子に伝はる縁起書を写したとしてゐる。 階が毀れてしまったらしくプラスチックの箱が代用としておかれてゐた。放っておかれてゐる訳ではなささうだが寂しい。 食糧(最近は食料と書く)の大切さは、今となっては実感できない。実りが無くても、買ってくればよいのが今の時代で、不作が命に関はるといった状況は いったい何時が最後だったのだらうか。 命に関はるといふ実感があったからこそ、山伏の行動は、なほ有難かったに違ひない。 |
平成20年12月13日撮影 | 平成20年12月13日撮影 |