よみ
| ひえじんじゃ
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所在地
| 厚木市関口字山の神戸504 (北緯35度29分8秒、東経139度22分1秒)
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HP
| 神奈川県神社庁 神社詳細 日枝神社
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祭神
| 大山咋命 ( おおやまくいのみこと )
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由緒
| 境内の記念碑には次のようにある。(縦書き)
関口日枝神社の由来
ここ相模川の清流に臨んで鎮座し給う日枝神社は、大山咋神を主
神と仰ぎ、古くは山王社と称す。勧請年月は不詳なれども、関口村
上下に分村のとき、下関口の鎮守社として創建されたと伝う。祭神
大山咋神は別名を山末之大主神と申し、山を主宰し給う神にて、安
産・子育・縁結びの神として村民の信仰はまことに篤し。明治に至
り日枝神社に改称す。
山王信仰は比叡山々麓の日吉神社の祭神山王権現に対する信仰に
て、伝教大師(最澄)が中国天台山国清寺の山王祠の例にならい、
地主神大山咋神を比叡山の守護神として山王祠を建立された事を
起源とし、天台宗の興隆と共に朝野の信仰をうけ全国に及びしもの
と伝う。
関口の鎮守社として万人が崇敬する日枝神社なれど、旧社殿は
嘉永七年(1854)十二月の再建にして、すでに百三十年余の星
霜を経、屋根朽ち損傷まことに甚し。ここに神社殿再建の議起るに
及び、自治会等の強力と氏子一同相はかり浄財をもって神社殿の建
設に着工す。旧社殿は、境内中央に位置し、裏山の切土、古木の伐
採、前庭の盛土等をなし広場造成に至った。時に平成天皇ご即位の
御大典と歳を同じくして神社殿落慶す。
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参拝日
| 平成21年5月15日(金)
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雑記
| 浅間社(中依知)から北へ600メートルで当社。
境内の東側すぐが急斜面で相模川添ひの低地へと続いてゐる。
記念碑には、自治会が社殿改築費千二百万円、広場造成費三百万円を寄附してゐる。総工費五千八百万円。
次は西北西へ800メートル、中津原台地の中津川側の段丘斜面にある日枝神社(長坂)への途中の大六天神社。
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