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作成日 平成21年5月13日 |
追記日 ──────── |
よみ | あるか じんじゃ ほんみや | |
海老名市上郷1-4-41 (北緯35度27分13秒、東経139度22分39秒)
国土地理院ウオッちず いつもNAVI | ||
HP | http://nttbj.itp.ne.jp/0462344763/index.html(タウンページ) | |
由緒 | 有鹿神社は本宮・中宮・奥宮からなる。境内に三社様と有鹿天神社がある。摂社に三王三柱神社、神武社がある。
11月8日に御朱印をいただいた際に「有鹿神社略記」をいただいた。そこの「御由緒」を抜粋する。 相模国の中原に位置する有鹿郷(現在の海老名市)の誕生と発展を物語る「総産土神」であり、神奈川県で最古の神社である。 生成期 太古の昔、相模の土地は海底にあったが、次第に隆起し、森林を中心とした緑なす大地が形成された。縄文の頃より、有鹿谷にある豊かな泉は、水神として、人々の信仰の対象となった。この泉の流れ落ちる鳩川に沿って、農耕生活が発展し、有鹿郷という楽園が成立した。この郷の水田(海老名耕地)における農耕の豊穣と安全を祈って、「水引祭」が起り、有鹿神社はご創建されるに至った。 発展期 延喜式、式内社に列せられ、寄進により五百町歩の神領となった。 変動期 平安末期から室町中期まで海老名氏の崇敬を受けたが、兵乱の災いを被り海老名氏は滅亡し、有鹿神社も社殿を始めことごとく灰燼に帰し、広大な社領も略奪された。 再生期 1575年「水引祭」が復興。海老名郷に属する上郷、河原口、中新田、社家、中野等の人々から崇敬されていた。徳川家康から十石の寄進。海老名郷領主の内室により社殿が再建(1622年)。 新生期 明治6年、県社に列せられたが郷社にとどまった。戦後は、神社本庁の傘下に属する。氏子・崇敬社の崇敬心が篤く、宮鐘の再鋳と鐘楼の再建、手水舎の再建、天神社の創建、社務所の新築、玉垣の築造、社殿扉の修理、中宮祠の再建等、次々と境内建物等の整備が進められた。人々から篤い崇敬を受けている。 | |
参拝日 | 平成20年9月7日(日) | |
雑記 | いろいろな伝承があって面白い(興味深い)。勝坂遺跡、奥宮の存在、有鹿神社と鈴鹿明神が争った話、
「松なしの森」ともいはれる有鹿森。どのやうな事実をこのやうな伝承として伝へてきたのだらうか。(鈴鹿明神の由緒には、「伝説によると、
伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。」ともされ、想像にすぎないが
土着の者と新参者との争ひのやうにも見へる)
本殿は、海老名市の有形文化財に平成4年10月1日に指定されてゐる。 |
平成20年9月7日撮影 | 平成20年9月7日撮影 |
・海老名郷領主 高木正次。元和9年に河内丹南に移り初代藩主となった。1622年は元和8年。
・2011年11月 奥宮等へのリンク作成 ・2012年05月 地図掲載 |