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三眼六足稲荷社(神奈川県海老名市河原口)

作成日 平成22年2月6日
追記日(2) 平成27年8月2日
よみ   地図 海老名索引地図へのリンク
参拝日  平成21年5月9日(土)
所在地  海老名市河原口(北緯35度26分47秒、東経139度22分32秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  
祭神  
由緒  
安養院鎭守三眼六足稻荷社縁起

謹んで茲に相模國海老名郷河原口安養院鎮守稲荷明神は其の起源を尋ぬるに極めて古く平安の頃から相模二十三座の式内社として 有鹿岡に鎮座し延喜式内有鹿神社の霊域で其舊蹟は今も尚當院境内に一堆の浄域を存す 往昔この岡に年久しく棲み馴れし白狐あり 常に郷中の田園を守護し時に姿を農夫に化身し諸所の障害を驅除し數々の竒特を具現せり里民その神變不可思議を神使と感得し 畏敬の念を岡邊に集ひて祠を建て稻荷明神と奉祀した これが当社の草創でありこの故事を里人の口碑と共に相模國風土記残本に 明文を傳う

  有鹿岡有社之南出怪嚴常有數尾之白狐土貢逢
  蝗蟹之災之時白狐變田夫除其災如神禮立俗崇之如神

鎌倉時代地頭海老名尾張守李貞深く信仰し累代守護所と崇め三貫六百文の神田を捧げ加て祭祀を厚くす 降って寛永年間格雲守存 大和尚當院開山に念し右稲荷明神を境内鎮守と仰ぎ即ち稲荷山安養院と號す 其後文化十年山城國紀伊郡稻荷本宮より分霊を奉載し 社格を正一位に進め奉る

   正一位稻荷大明神安鎮事
  右於本宮雖爲奥秘因懇望式外神複修行奉勧遷大明神於其清地 相州高座郡河原口村安養院鎮守 斎場○祭祀莫怠於尊信者 豊饒萬福可有守護者仍如件
     城州紀伊縣
       稻荷本宮祠官
  文化十年初春吉辰  從四位○総鎮守奉○親寔
                     印 印
依て新たに今の社地を卜し寶殿の規模を改め恭しく遷宮を遂げ爾来毎歳二月初午の祭祀を盛大にし家内安全五穀豊饒所願成就 商賣繁昌交通安全の祈檮を嚴修し奉り護符を拝受し近来社頭弥栄へ霊験また日々新たにして檀信徒と共に誠に随喜景仰に堪えぬ 次第なり
  安養三十一世   壽山コ翁敬白
雑記  社殿の後ろ側からは目にしたことがあったと思ふが、神社だとは今日まで知らなかった。拝殿をのぞくときれいに整理され使はれてゐる様子。 お寺(安養院)の住職が守ってゐるのだらうか。 碑文は下の方が草で読めない。冬にもう一度ゆかう。

 平成27年1月26日再訪。横浜貿易新報社の碑は、縣下名勝史蹟四十五佳選當選記念 三眼六足稲荷大権現 とある。昭和十年、投票により選出されたもので、当社は、 二十四位で当選してゐる。

 縁起碑を転記して、ふと思ふのだけれど、読めない人が多いのかもしれない、と。
 自身のことであれば、正字(旧漢字)には高校生の頃に知ったので読む分には全く問題ない。昭和40年代後半には、 多くの文庫本は新字・新かなになってゐた。戦前に出版された漱石や芥川や太宰の小説は、全集本か図書館で当時出版の本を読まない限り 同じ年代の人でもなじみがないはず。


平成21年5月9日撮影

平成21年5月9日撮影

平成27年1月26日撮影

平成27年1月26日撮影


・24.05.01 所在地地図へのリンク、地図掲載
・27.08.02 向拝の彫刻写真、横浜貿易新報社の碑写真、由緒を追記


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