由緒
| 境内にある石碑によると、
当八幡宮の祭神は應神天皇(誉田別命)であり、創建年代は未詳
であるが、当地も大化の改新(645年)により条里制が整い、こ
の八幡宮も農耕生活の上でなくてはならない守護神として朝野の信
迎を篤くした。当八幡宮の別当寺院であった盛福寺の梵鐘銘文に「
延暦」という年号(782年から806年 奈良から平安時代)も
見え、八幡信仰の古さを物語っている。
一説に平安時代海老名源四郎親季が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請し、その
俊大島豊後守正時公が当宮の宝殿を創建したしとある。
中野は上海老名郷であったことから海老名氏との関係も深く、そ
の関係文書に居住地がこの地にあったことや、跡堀・入内島などの
地名も出てくる。さらに海老名氏の館の敷石に使われていた十三枚
のうち三枚が当地にありその一枚が土地改良記念碑として鳥居右
側に建立されている。
現在の本殿の建立は、棟札や建築様式によれば享保十年(172
3年)のものでり、その後幾多の修復を経て護持されてきた。
ご神木の大銀杏も樹齢八百年と推定され、江戸期の資料では周囲
一丈九尺余り(約6メートル)と記されている。
当八幡宮の繁栄と氏子中の平穏無事と祈念し、これを茲に建立す
るものである。
平成九年十一月吉日
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