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豊受大神(神奈川県海老名杉久保)

作成日 平成24年9月16日
追記日 ────────
よみ  とようけのおおかみ
所在地  海老名市杉久保1844 (北緯35度25分33.3秒  東経139度23分56.2秒)
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HP  神奈川県神社庁 神社詳細 豊受大神
祭神  豊受媛命 ( とようけひめのみこと )
由緒  石碑に縁起が刻まれてゐる。
豊受大神縁起
 豊受皇大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の六年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行きの処 として此地をその鎮の宮と定められた。これより後聖武天皇の神亀二年勧請遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ のち遠馬二郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神として崇められた。
 江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令に従い社号を豊受大神と 改称した。御祭神は豊受毘売命またの名を登由宇気大神と申し本宮は伊勢国山田原に鎮座される。大神は天祖伊弉諾尊の御孫和久 産巣日神の媛神で始めは丹波国真井原に鎮座されたが雄略天皇のとき伊勢国に遷座されて豊受宮度会宮と尊称した。のち豊受皇太 神と称され五穀を司る大神として伊勢神宮の外宮に祀られ御饌津神として永く尊崇された。
 推古天皇の代にこの地は豊受皇太神の御鎮座によって五穀豊穣し丘稜は国華の牧肥馬の地として弥栄えて世に朱金千両黄金千両 と謡われた。また仁明天皇の承和八年後稜より天照皇太神を御遷座した。奉幣は重陽九月九日内宮は九月十日と定められた 当時の 御神域は後稜の伊勢山及び御神林御廟地をあわせて五万六千余坪といわれた
 御神殿は始め後稜を御神と崇め拝殿のみでしたがのち上宮寺義玄僧正のときこれを改めて内殿の創建が行われた。治承四年七月 渋谷重国と遠馬三郎時国公によって神門社殿其の他が新しく造営され別当上宮寺の七堂も再建された。しかし正平応仁の乱を経て幾多の 兵乱に類焼し再建を重ねてきた。上宮寺もまた義玄僧正、日○上人法印養祐によって法燈がかかげられ永録六年に袖主恩馬内記は本宮 奉持の功によって正六位を叙せられた。
 豊受大神は恩馬郷総鎮護の神として古来より衣食住等人間生活の根源を開発された親神であり悠久幾千年五穀の豊穣、家内安全、 安産縁結びの神学問の神と、その霊威あらたかなりと信ぜられ崇敬されている
     昭和五十九年閏一月吉祥日
小澤 彰選文        .
宮司 恩馬知秋謹書     .

別の平成8年の掲示板によると(抜粋)
外宮 豊受大神 (げぐう とようけおおかみ)
御祭神 豊宇気毘売大神
現在の社殿は昭和六十年造営された
境内社 内宮社(天照皇大神)平成三年御造営
    末社(寄宮五社) 山王宮 稲荷大神 琴平宮 三峯社 秋葉大神  
参拝日  平成23年11月3日(木)
雑記  小田急線海老名駅からは南へ2.8km、相模線社家駅からは東北東へ2.0kmのところにある。 相模川沿ひの平地から座間丘陵への斜面にある。社殿の背後は緑豊かで、静寂で、いかにも神の鎮まるところと思へる。 ただ、地図を見るとその先は住宅街になってゐる。
 境内には、天満宮の社もあった。


平成23年11月3日撮影

平成23年11月3日撮影

平成23年11月3日撮影 内宮社

平成23年11月3日撮影 内宮社


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