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鹿島神社(神奈川県秦野市寺山)

作成日 平成29年11月4日
よみ  かしまじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年5月09日(火)
所在地  秦野市寺山792 (北緯35度23分51.81秒 東経139度14分13.93秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 鹿島神社
祭神  武甕槌之命
由緒  旧村社。
 境内の掲示には次のやうにある。
鹿島神社
祭神   武甕槌之命
境内社  厄神社 金毘羅社 子神社
由緒沿革 勧請年代は不明だが、鹿島神宮より勧請した、神体は木像二軀(実は乾漆造り)銅像一軀、平安末期の作と伝えられている。寺山村は往時寺社多く、慶安の頃三代将軍家光御参拝あり、此の当時より寺山村の総鎮守であった。分祠を丹沢山守護として設立し、貞永元年(1232)より年々鹿島神社の焼印木札を奉安した。それより後分祠所在の地を札掛といい、後、山廻り役人巡視の証として鹿島分祠に札を掛けるようになった。焼札奉安は明治の初めまで続いた。慶安二年(1649)八月御朱印を賜わり将軍世継ごとに御朱印状が送られている。明治の初期より崇敬者が増大し、それらの寄進による絵馬額は相模、武蔵、駿河、伊豆におよび、その数は数百枚に達した。(現在六十有余枚保存)明治六年七月三十日鹿島神社と改称し村社に列せられ、大正二年八月幣帛供進の神社に指定された。昭和四十三年本殿弊殿拝殿等大改修し参道も整備され、昭和四十五年石造大鳥居社号柱も奉納され、現在の神域となった。
宮司   草山清和
連絡先  出雲大社相模分祠 秦野市平沢1221 (電話略)
 新編相模国風土記稿巻之五十二の寺山村の条には次のやうに載ってゐる。
鹿島社 村ノ鎮守トス。祭神武甕槌之命神体三躯(木像弐二躯 銅像一躯)ヲ安置ス。例祭正月六月ノ十日ナリ。社領二石ハ慶安二年八月御朱印ヲ賜ハレリ。弊殿拝殿神楽殿アリ。杉樹(囲一丈一尺許)ヲ神木トス。円通寺持。下同。
 末社 白山 牛頭天王 山王 稲荷
 毘沙門堂 当社ノ地主ナリト云伝フ。堂地ニ金毘羅社アリ。
雑記  小田急線秦野駅から北ないし北北東へ3.2kmのところにある。ヤビツ峠(標高761m)へ通じる道路の途中、標高180m程のところ。尚、秦野駅は93m。
 社名の「島」は、社号標(昭和四十六年奉納)、向拝の扁額には「嶋」の文字が使はれてゐる。
 境内に樹木は、庭木のやうに選定が施され、掃除も行届いてゐる。

写真





境内社(覆殿内は次の写真参照)

境内社、向つて右から金刀比羅神社(白山社・山王社を配祀)、厄神社(榎大人之神)、三峰神社(二神を配祀)。(2枚の写真を合わせた)


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