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菅原神社(神奈川県秦野市上大槻)

作成日 平成30年1月13日
よみ  すがわらじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年6月25日(日)
所在地  秦野市上大槻899 (北緯35度21分48.64秒 東経139度14分20.17秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 菅原神社
祭神  菅原道真 ( すがわらみちざね )
由緒   新編相模国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。
天満宮 村ノ鎮守トス。身体木像。外ニ又一体(飛天神ト称ス)ヲ置。明応三年、慶長十六年ノ両度社頭造営ノ棟札アリシガ、安永七年祝融二罹リシ由、明和八年ノ棟札ニ記セリ。社領二石五斗ノ御朱印ハ天正十九年十一月賜ヘリ。例祭正月廿五日。菅公自画像ノ一軸、及ビ縁起(天満宮伝記、北野鎮座迄ヲ記ス)三巻ヲ神宝トス。拝殿神楽殿建。養泉院持。
 本地堂 十一面観音ヲ置。
 神木槻 元ハ大樹二株アリテ、村名ノ起ル所ナリ。一株ハ何ノ頃カ枯槁ス。一株ハ、近キ頃野火二罹リテ烏有シ、今蘖生一株アリ。
 末社 雷神山王合祀。妙義風神牛頭天王合祀。
  参考 祝融:火事 蘖:ひこばえ 槁:枯れる
     明応三年:1494 慶長十六年:1611 安永七:1778 明和八年:1771 天正十九年:1591
 『神奈川県神社誌』(2)には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革 創立年代は不詳であるが、応永二十七年の古文書に村内天神社境内に槻の大樹二株ありしより大槻と称うとあり、当社は鎌倉の初期より鎮座され、相模風土記稿によると(中略)。例祭日は当時より一月二十五日に行われ、拝殿神楽殿も建立されていた。享保十五年(1730)七月鎌倉雪之下法印大順慈観より菅原道真公自筆画像長さ二尺五分、幅一尺二寸の寄附があり、社宝として伝わっている。明治六年菅原神社と改称す。大正十二年の関東大震災には建物半壊以上となり、工作物は全潰し社殿の裏崩れたるにより、二回に渉り社殿の復旧をなす。昭和二十八年より宗教法人菅原神社となった。
雑記  小田急線秦野駅から東南東へ1.3kmの所にある。

 社宝の絵について、境内に教育委員会による掲示がある。「束帯天神像」で室町時代に遡ると推定され、市内最古の絵画です、とのこと。尚、公が亡くなったのは延喜三年(903)。
 菅公千年祭碑、菅公千年祭記念碑、嘉永四年(元禄十一年再建)の手水石がある。
 境内社脇の梅樹下には黄色くなった大ぶりな実がいくつも落ちてゐた。

 この日は天気が悪く、折畳み傘を持って、三社だけ巡る計画で出かけた。懸念が現実になり、当社拝殿前で1時間近く雨宿りした。直射日光がささないので写真撮影には良かったかもしれない。

写真

灯籠には「嘉永三庚戌歳」(1850)とある

参道途中に昭和六年建設の銅製の鳥居があり、これも銅製で昭和五十八年奉納。



境内社(日吉神社・風神社・八坂神社・妙義神社・雷神社)

脚注
  1. 新編相模国風土記稿巻之四十九 上大槻村の条 (天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.307 菅原神社


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