神社訪問記HP神奈川県秦野市

嶽神社(神奈川県秦野市西大竹)

参拝日 平成29年6月25日(日)
作成日 平成30年1月30日(土)
追記日 令和6年4月19日(金)
よみ  たけじんじゃ  
所在地  秦野市西大竹281-1 (北緯35度21分38.34秒 東経139度14分3.56秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.84 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 嶽神社
祭 神  日本武之命 ( やまとたけるのみこと )
由 緒   社頭の掲示及び『神奈川県神社誌』(1)には次のやうに記されてゐる。
嶽神社

祭神  日本武之命(やまとたけるのみこと)
境内社 御霊社 八坂社
由緒沿革 元大竹村は鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子であったが、正保年間尾尻村より分村し、桃山時代より尊崇していた御霊社は漸次神威をたかめ、享保初期村高も分れたが、神社は二重氏子として両社を崇敬していた。明治四年四月産土神社への名簿納めが戸籍の責を持つに至り、同年七月四日御霊社を嶽神社と正式に改名し、八幡神社と両社に名簿納めした事から足柄県庁に出訴繋争中、神主草山兵庫の依頼により近隣四名主の仲裁となり、示談成立した。明治八年五月二十二日古宮伝兵衛外六十人連印の議定書により落着、嶽神社の単独氏子となる。明治二十二年五月十一日社殿も多くの彫刻を入れて立派に完成した。昭和二十八年宗教法人となり、昭和五十三年四月宮大工関野実氏によって大改修が行われ現社殿が完成した。
宮司 草山清和
連絡先 (略)
   参考 正保年間:1645-1648 享保:1716-1736
 新編相模国風土記稿(2)には「御霊社 村民持。下同   末社 天王 秋葉」とある。
雑 記  小田急線秦野駅から南東へ1.2kmのところにある。

 鳥居は昭和九年、狛犬は昭和36年、玉垣は昭和42年、社号標は昭和49年、灯籠は昭和五十七年、手水鉢は昭和六十年の奉納。
 境内社は、社殿の向って右側に八坂社があり大正四年奉納の手水鉢を備へえゐる。また、左側に赤い鳥居、赤い覆殿の小祠(社名不詳)があった。

 鶴疇山の八幡宮(尾尻八幡神社)は当社から西北西へ0.4km余の所にある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3  向拝の彫刻(拡大写真 305kB)


写真4


写真5  境内社(八坂社)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.303 嶽神社
  2. 新編相模国風土記稿 巻之五十三 大竹村の条 (天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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