神社訪問記HP神奈川県秦野市

雁音比売社 (神奈川県秦野市千村)

参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年11月28日(日)
改訂日 令和6年2月22日(木)
 
よみ  かりがねひめ 社  
所在地  秦野市 千村(ちむら) 1058
  (35度21分42.57秒 139度10分24.58秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  かりがねひめ
由緒  次の掲示があった。
かりがねの松
 この「かりがねの松」のお話は、いつのことかよくわかりません。
 そのむかし、千村(西地区)に宿場として京にのぼるのに、また西からの大山まいりのお客などでにぎわった所だと言われています。
 この千村に「ちむらわかされ」と、呼ばれる辻があったんだそうな。
 そんなむかしのある日のことですと。
 その日は、大へんに寒く、いつもなら旅人でにぎわう「わかされ」ですが、さっぱりと人通りがなく、ただ寒い西風が吹きすさび粉雪を舞い上げていたんだと。
 ぴゅうぴゅう吹きすさぶ西風に送られて来られたのでしょうか。それはそれは美しいお姫様がただひとり、とぼとぼと……。」
 お姫様は「わかされ」まで来ると、急に胸をかかえよろよろとひざまづいてしまつたのだそうだ。そんな姿を見た村人はおどろき、お姫様をだき起こしました。そして、あれやこれやといたわり、手厚く看病しましたがそのかいもなく、村人にだかれたままとうとうかえらぬひととなってしまつたのですと。
 お姫様は、苦しいいきの中から、
「わたしは都の者でございます。名前は「かりがね」と申します。故あつて……。」
と、そこまでやつと話されましたが、あとの声は小さくなつていき聞きとることができなかつたそうだ。
 村人たちは、あまりの急な悲しい出来ごとにほろほろと涙を流し「かりがね」をねんごろに、わかされにとむらいました。
 そして、そこに一本の松を植えました。
 松はすくすくと大きくなり、そのみごとな枝ぶりは口ではたとえようもありませんでしたと。
 一枚一枚の松の葉はかりの羽のように。大きな枝は、羽を広ろげたかりのように。 村人の中には「姫よりも美しい松」と言うものさえでてきました。
 いつの間にか、だれ言うともなく、その松を「かりがねの松」とか「かりがねの姫」と、呼ぶようになり、姫の美しさとそのあわれさをしたって、松と一しょにいつまでも語りついできたのだと言うことですと。
雑記  小田急小田原線渋沢駅から南南西へ1.7kmの所にある。

 今は、松は無い。道路は小型車が通れるだけの幅しかない。山中だが樹木は細い物が多く、また近くに畑もあって明るい。
 女の一人旅はあり得ないので、何等かのトラブルで一人行となったのだらうが、上記の掲示内容以上の情報が無く事情は判らない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

石祠の側面には「昭和十八年一月再建 兄弟一同 伊丹安太郎」とある。


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.02.22 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system