よみ
| すがじんじゃ
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所在地
| 秦野市渋沢2277 (北緯35度21分55秒、東経139度10分46秒)
ゼンリン地図
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HP
| 神奈川県神社庁 神社詳細 須賀神社
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祭神
| 須佐之男命 ( すさのおのみこと )
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由緒
| 境内に掲示番があり、それによると、
須賀神社(天王社)
鎮座地 秦野市渋沢2277
祭神 須佐之男命
例祭日 五月四日
社殿 本殿(一間社寄棟造) 覆殿(切妻) 拝殿(入母屋)
境内面積 宅地(261平米) 山林(140平米)
由緒沿革
古来天王社として崇敬されている。須賀神社のご神体は牛頭天王(木造)で、祇園精舎の守護神、除疫神。
当社の古い記録として棟札は天明四年(1784)、文政三年(1820)、慶応二年(1866)の三枚あり、
他に文書は「建立金覚」「再建諸掛覚帳」など四通。
『新編相模風土記稿』によれば、天王社、村の鎮守なり又、千村の内に当社を産土神とするところあり、
例祭日六月七日、吉祥寺持とある。
吉祥寺は渋沢にあり、京都、醍醐三宝院の末寺で皇牛山と号し当山派修験で近郷十七箇寺を支配し開山は
般若、文禄三年二月二十一日卒、云々・・・・・明治六年廃寺。
平成十四年発行『秦野の寺社建設』(教育委員会刊)によれば本殿の建築様式は仏堂であり規模からすると
厨子で、きわめて珍しいと報告されている。
神社は以前当地より東南の水田の奥にあったと伝えられている、現在地に鎮座された時期と吉祥寺の廃寺時期が
近いので吉祥寺の厨子が本殿になったとも考えられるが確証はなく今後の調査に委ねたい。
平成十五年九月
須賀神社
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平塚市在住といふ吉祥寺十世の孫、曾孫が狛犬の台部分に奉納に当っての言葉が刻まれてゐる。それによると、「吉祥寺十世「畑龍伯」
は同寺経営に当り牛頭天王社の護持に勤め、傍ら寺子屋や医療により村の暮しを助けたといひます。今年は祖父の没後百十年に当り
(中略)社頭に狛犬一対を奉献する次第です。(中略)平成20年五月吉日」
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参拝日
| 平成22年11月14日(日)
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雑記
| 渋沢神社から歩いて凡そ400メートル。室川の右側の少し高いところにある。境内は落葉がぎっしりとあり、
手入れは行届いてゐるとは言ひがたい。狛犬は不似合いなほど新しい。
拝殿には、境内絵図(写)が、狛犬奉納者のお一人が平成21年に奉納されてゐる。『天保六年(1835)、皇牛山
吉祥寺が幕府地誌取調所御出役に提出し、「新編相模風土記稿」の資料となる「神社寺院取調書上○○及び○付絵図(写)」より』と
ある。
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