ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

健速神社(神奈川県秦野市下大槻)

作成日 平成29年1月7日
よみ  たけはやじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年5月25日(水)
所在地  秦野市下大槻6115 (北緯35度21分40.13秒 東経139度15分18.94秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 健速神社  秦野市観光協会健速神社
祭神  須佐之男命 ( すさのおのみこと )
由緒  境内には次の掲示がある。
健速神社由緒
祭神   須佐之男命
末社   稲荷神社、御嶽神社
例祭   七月九日
大祭   九月第一日曜日
旧社名  牛頭天王社
創建時期 不詳
所蔵文化財・本殿建築一棟(秦野市指定重要文化財)
     ・社殿造立棟札 永禄二年、天正九年、慶長九年、寛永十三年他
     ・御神刀一振り 無銘 室町時代 越中宇多派の手になる古刀

 明治元年(1868年)の、神仏分離令により、神社名を「健速神社」 祭神・須佐之男命と定められるまでは、旧社名を「牛頭天王社」と称し、御祭神は「牛頭天王」と「須佐之男命」の二神を御祭りし、地元では古くから「お天王さん」の名前で親しまれてまいりました。

 その創建時期は、詳ではありませんが、市内最古、永禄二年(1559年)の棟札が残っている事から、少なくとも446年以上の歴史を重ねています。
 拝殿奥の覆殿に収蔵されている朱塗の本殿は、寛永三年、徳川第三代将軍家光公より社領の寄進を受け、寛永十三年(1636年)に造立された一間社流造りの神社建築であります。近年実施された秦野市教育委員会の調査によって、市内に現存する最古の寺社建築であることが明らかになり、平成十五年二月、「秦野市指定重要文化財」に指定を受けました。

 火祭りで知られる健速神社の祭礼は、「新編相模国風土記稿」によれば、「毎年六月七日(旧暦)より十七日まで例祭。神輿は、七日出輿十三日帰座、十七日まで祭事が執行された」と記述されています。
 明治六年、下大槻村々社に列せられた折、七月九日を例祭日と定め、大祭前日に、金目川の「川場水掛神事」で清められた神輿は、翌九日の例大祭日、家々の門口で焚く麦わらの火を渡りながら、下大槻全域を一日で渡御する事となりました。

 太平洋戦争後は、戦時中休止していた祭礼を復活するに際し、九月第一土曜日に、「川場水掛神事」、翌日の日曜日を「例大祭日」と定め、江戸時代から続く伝統の「火渡り神輿」の祭礼を、今も受継いで、毎年盛んにおこなっています。
 なかでも、下大槻地内の渡御を終え、伝統神事「おおや」と呼ばれる、勇壮な神輿ねりは、集った人々に「感動」を与え、「勇気」と「生きる力」の御神徳を身に受けて、お帰り頂いています。

   平成十七年五月吉日
健速神社総代会

新編相模国風土記稿巻之四十九の下大槻村の条には次のやうに載ってゐる。( )内は割注。
牛頭天王社 村ノ鎮守トス。神体石。(八寸許)毎年六月七日ヨリ、十七日迄祭礼アリ。(北方村境ニ仮座ヲ建、七日ニ出輿。十三日本社ニ帰座アリ。十七日迄、祭事執行ス。)永禄ニ年ノ棟札ヲ蔵ス。(大導師法師円海、当地主富永、原土佐守重政、本願主定秀、口藤但馬、禰宜新兵衛等ノ名ヲ記シ、裏ニ永禄二載己未、二月廿七日トアリ。按ズルニ、富永ハ弥四郎ナリ。原重政ハ、美濃守虎胤ガ子ニシテ、事ハ旧家条ニ詳ニス。)神木松(囲一丈五寸)アリ。神楽殿建リ。土屋村大乗院塔中、金蔵院持。
雑記  小田急線秦野駅からは東南東へ2.8km、同線東海大学前駅からは南西へ1.9kmの所にある。
  • 記念碑によると、社殿の大改修が平成十五年から十六年にかけて行はれてゐる。
  • 石鳥居は「昭和八年七月吉日建設 昭和廿八年六月修築」と刻されてゐる。銅鳥居は昭和五十七年九月吉日と記されてゐる。
  • 境内に稲荷社が赤い鳥居とともに御神木の根元にあった。御嶽神社は気づかなかった。当社から東南東100mに御嶽社がある。境外末社か?
  • 社殿の前には、本殿の説明が写真と平面図を添へて、秦野市教育委員会名で掲示されてゐる(秦野市HP 下大槻 健速神社本殿
  • 平成十七年五月の下大槻消防顕彰の碑がある。火祭では藁を炎が社殿の高さに届くほどに燃やすので、火の用心は大切だ。


鳥居は銅製、階段を登ったところに石鳥居がある


inserted by FC2 system