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金比羅神社(神奈川県秦野市曽屋)

作成日 平成29年2月5日
よみ   地理院地図
参拝日  平成28年6月3日(金)
所在地  秦野市曽屋 (北緯35度22分51.86秒 東経139度13分13.33秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  
祭神  大物主命
 崇徳天皇
由緒  境内の掲示は次のやうにある。
金比羅神社

創建 文政年間(1820年頃)
祭神 大物主命 崇徳天皇
神徳 漁業航海 豊業殖産
   医業   福徳

例大祭 一月十日 五月十日 十月十日

由緒略記
当社は文政の今昔を去る170有余年前佐藤杢之輔照義が讃岐の国琴平町に鎮座まします旧国幣中社金刀比羅宮より分霊を戴きこの地にお社を祭ったことに基因する
当初は神仏習合の金比羅大権現が祭神でありましたが明治維新後の神仏分離令により現在の金比羅神社となりました。
その後大正十二年九月一日の関東大震災により社殿は倒壊しましたが岡崎村住人飯田勝三郎氏発起人になり復旧をなしとげたるも以来年月を経て社殿も老朽せし為平成四年社殿建設を計り崇敬者各位の御尽力により同年十月十日竣工式を行う
        社主  佐藤正兄
雑記  小田急線秦野駅から北北西へ1.3km、曽屋神社の北170mの所にある。

 拝殿内には「扶桑教管長宍野健丸○○○、扶桑教金比羅大神敬神○○・・」(一部は、暗くて読めない)と記された札がある。扶桑教は明治15年に教派系神道の一派として独立してゐる。宍野健丸(ししのたけまる)は、明治27年に扶桑教の二世管長に就任してゐる。
 扶桑教と金比羅神社(神社神道)とどのやうな関係があったのだらうか。


御本殿


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