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加羅古神社(神奈川県秦野市横野)

作成日 平成29年2月25日
よみ  からこじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年6月12日(日)
所在地  秦野市横野608 (北緯35度24分14.10秒 東経139度11分2.32秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 加羅古神社
祭神  事代主命 ( ことしろぬしのみこと )
由緒  境内には次のやうに掲示されてゐる。
加羅古神社
  秦野市横野宮ノ子608
祭神 事代主命
  恵比須様として親しまれ生業弥栄 子孫繁栄 健康長寿 平和 幸福の神
由緒
  神社明細書によると寿永二年の創建で霊験顕著で克く病を救い四民の信仰を得ていたと伝り、明応年中北条早雲当社の由来を聴き社殿建立の願主となり崇敬の途を啓く また天正十九年十一月将軍相模国仲原に御鷹野の新御殿へ神足利広を召され当社の由来を聴き朱印地一石を寄進され代々書替えを行なわれ明治維新に及ぶ 大正六年に幣帛料供進の指定社に列せれも昭和二十一年八月宗教法人令により宗教法人となる。
付記 当社は市内における古社の一つで古くは、唐子明神と称し由緒や縁起について口伝や文書があって文人の「夢多く、ゆめ膨らむ」関心の深い社である。

 新編相模国風土記稿巻之五十二の横野村の条には次のやうに載ってゐる。( )内は割注部分。
唐子明神社 村ノ鎮守ナリ。神体ハ木像。縁起二昔唐土ヨリ飛来セシ神ナルヲ以テ唐子明神ト号ス。此境内ノ山中ニ安ンズル拘留尊仏ハ、即明神の垂蹟ナル由見ユ。其他記スル所妄誕ニ亘レバ、茲ニ漏セリ。例祭六月廿二日。天正十九年十一月社領一石ノ御朱印ヲ賜フ。当社古ハ村民今井兵部ト云モノ進退シ其子孫郷右衛門ノ時天正十九年、中原御殿ヘ召サレ明神ノ由来ヲ尋サセラレ、即社領ノ御朱印ヲ賜リシト云。兵部ガ子孫、今ニ村民タリ。神木ニ樫樹(囲一丈三尺)アリ。
 末社 明神天神天王合祀 鷲明神 風神
 別当仙能院 明見山ト号ス。本山修験(小田原王滝坊霞下)本尊不動。初祖儀寛(慶安元年五月六日卒)三世宝教ノ時村民ヨリ当社務ヲ譲ラレシト云(年代詳ナラズ 但当社寛文十一年ノ棟札ニ、別当仙能院ト記シタリ)
雑記  小田急線渋沢駅から北へ3.3kmの所にある。

 当社から北ないし北北東へ3.7kmの所に「三ノ塔」呼ばれる山の頂きがある。「二ノ塔」の頂は三ノ塔の南東0.3kmにある。新編相模国風土記稿は「妄誕ニ亘」として記してゐないが、つぎの伝承があるといふ。
  • むかし、毎夜山に光るものが現れ、不思議に思った村人が登ってみると、突然空に御神燈が光り、次に奥の山上に、また奥の山上にと光輝き竜馬に乗った神童が現れ神像を渡し祀るやうにと云ひ、村人は最初に燈った山麓に加羅古神社を建立したといふ。[1]
  • 二番目、三番目に神燈が灯った山はそれぞれ二ノ燈(にのとう)、三ノ燈(さんのとう)と呼ばれるやうになった。その後、「燈」が「塔」に転訛し、現在の名前になったといはれてゐる。 [2]


右:向拝の扁額、左:拝殿内の扁額

脚注
  1.  平成29年2月21日閲覧 古代であそぼ内 神社探訪「加羅古神社
  2.  平成29年2月21日閲覧 Wikipedia 三ノ塔


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