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堀之郷正八幡宮(神奈川県秦野市堀山下)

作成日 平成29年3月11日
よみ  ほりのごうしょうはちまんぐう 地理院地図
参拝日  平成28年7月6日(水)
所在地  秦野市堀山下988 (35度23分49.06秒 東経139度10分24.91秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 堀之郷正八幡宮
祭神  誉田別尊 ( ほむだわけのみこと )
 息長帯姫命 ( おきながたらしひめのみこと )
 高良玉多礼命 ( こうらのたまだれのみこと )
由緒  郷社。
 社頭にあった「神社再建事業 奉賛金のお願い」の前半を引用する。
 本神社は天安二年(858年)、平安時代に大分県の宇佐八幡宮より勧請され、ご祭神は応神天王・神功皇后・竹内宿禰の三柱であります。古来より厚い信仰を集め、千百五十年以上にわたり、此の地にお鎮まりいただいております。
 現在の建物は本殿が約四百年前、拝殿が約百五十年前に改修されて現在に至っております。
 しかし、近年老朽化が著しく、地域の方々より再建の声があがり「堀の郷正八幡宮建設委員会」を設けて改築事業に取組んでおるところであります。
(後略)

 新編相模国風土記稿巻之五十三の堀山下村の条に、次のやうにある。
八幡宮 堀郷四箇村ノ鎮守ナリ。天安ニ年ノ勧請。祭神誉田別尊ニテ、息長足姫尊、武内宿禰ヲ相殿トス。例祭七月十六日、此日御輿ヲ旅所(小名関ニアリ)渡シ(幟傘鉾弓鉄砲等ヲ以テ途中ヲ警護ス)。十八日帰輿ス。是ヲ大祭礼ト称シ、六月朔日ノ一度神事在ルヲ小祭礼ト称セリ。北条氏ノ頃、十一月ノ祭礼ニ郷中ノ名主等、順次ノ掟ヲ示セシ事アリ(所蔵木札曰。八幡宮掟之事。右毎年霜月朔日之祭礼、三分之名主、御幣令項載事、以領主之御下知、各年ニ相定畢、聊相違有間敷者也、仍而如件。甲子十月晦日、三分代官、小野長門華押。按ズルニ、甲子ハ永禄七年ナルベシ。裏ニ巳酉年、一番山下分助兵衛、二番斉藤分総左衛門、三番河村分久左衛門、十一月一日、巳丑河村分、庚寅斉藤分、辛卯山下分。天正十七歳霜月一日)。拝殿神楽殿等建リ。天正十八年、小田原陣ノ時、東照宮御太刀ヲ納メラル。十九年十一月、社領五石ノ御朱印ヲ賜フ。社内ニ、柳沢刑部左衛門安忠ノ納メシ銅燈籠ヲ掛ク。社辺ニ老杉二株(囲各一丈余、相生杉ト称ス)アリ。
   神宝
  太刀一振(東照宮ノ納メ給フ所ナリ)
 末社 稲荷 伊志子利戸女命 毘沙門天 金毘羅
 神主村上式部 白川家門人ナリ。天正年間、先祖式部ヨリ相続テ、今八代ニ及ベリ。

 このほか、境内の由緒掲示によると、
・勧請当初は金光山正八幡宮と号した。
・四箇村とは、堀山下村、堀西村、堀川村、沼代村。 
・堀山下村の領主米倉氏からは守護神として手厚い保護を受けた。
・明治維新後は郷社に列せられた。 といふ。
雑記  小田急線渋沢駅から北北東へ2.8kmの所にある。
 社護神社で聞いたとほり、社殿建設中だった。掲示板には、5月14日の上棟式の様子が写真で紹介されてゐる。 現在は、ほとんど完成してゐるのではないだらうか。四月の例大祭には竣工式があるのではないかと想像してゐる。

写真

ブルーシートに包まれてゐるのは本殿か?

境内社(金刀比羅神社)


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