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上秦野神社(神奈川県秦野市菖蒲)

作成日 平成29年3月19日
よみ  かみはだのじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年7月6日(水)
所在地  秦野市菖蒲1417 (北緯35度22分51.37秒 東経139度10分2.73秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 上秦野神社
祭神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 大日・命 ( おおひるめのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
 底筒男命 ( そこつつのおのみこと )
 中筒男命 ( なかつつのおのみこと )
 上筒男命 ( うわつつのおのみこと )
 倉稲御魂命 ( うかのみたまのみこと )  
 彦五瀬命 ( ひこいつせのみこと )
 鎌倉権五郎景正 ( かまくらごんごろうかげまさ )
 八幡太郎義家 ( はちまんたろうよしいえ )
 素戔嗚尊 ( すさのおのみこと )
 大山咋大神 ( おおやまくいのおおかみ )
 子の大神 ( ねのおおかみ )
 駒形大神 ( こまがたのおおかみ )
 伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
 速玉之男神 ( はやたまのおのかみ )
由緒  境内に新旧の由緒掲示がある。
旧い掲示
上秦野神社由緒沿革
祭神 誉田別命 大日・命 菅原道真 上筒男命 中筒男命 底筒男命 八幡太郎義家 倉稲御魂命 鎌倉権五郎景正 彦五瀬命 素戔嗚尊 大国魂命 大山咋命 保食命
創立 創祀年代詳にせず 後陽成皇(第107代)の文禄三年(1594)九月再建し仁孝天皇(第120代)の文政四年(1811)正月 更に社殿を建築す
社名 古くは社号を八幡大菩薩と称したが、明治元年二月八幡神社と改む
明治十一年七月村内明神社 天神社を合祀しその後明治四十二年までの間に 村内の神社 御霊神社 八坂神社 稲荷神社 駒形神社 住吉神社 日枝神社 稲荷神社 熊野神社 子の神社等の祭神達 十九柱を合祀するに当り同年四月七日社号を上秦野神社と改む
社殿 木造、亜鉛葺、神明造
修造 大正十二年の震災に因り、大破したので修繕を行ったが弊殿狭小のため、昭和七年十月より弊殿の改築工事を起し、翌年八年三月三十一日を以て竣工せり。この際を以て草葺屋根を亜鉛板葺とし、今日に至る
社格の変遷 明治元年二月社名を八幡神社と改めたさい郷社の資格を与えらる
昭和八年四月指定郷社となる
例祭 四月三日
往時は八幡宮と号し菖蒲 柳川 八沢 萱沼 宇津茂 土佐原 六ヶ村の鎮守なり

新しい掲示
  上秦野神社の由緒沿革
御祭神
   主祭神は、誉田別命で、第十五代應神天皇にあたる。全国にある八幡神社の御祭神である。その他 八幡太郎義家、鎌倉五郎景正(旧御霊神社御祭神)、素戔嗚尊(旧 八坂神社御祭神)、上筒男命・中筒男命・底筒男命(住吉神社御祭神)など合わせて二十六柱が祀られている。
創立
   『新編相模風土記』によれば、往時は八幡宮と称し、菖蒲・柳川・八沢・萱沼・宇津茂・土佐原六ヶ村の鎮守成りと記されている。創立年代は不詳である。
社殿
  木造 亜鉛葺 神明造 
社名・社格
   古くは社号を八幡菩薩と称したのを明治元年二月八幡神社と改め、その後、明治四十二年四月七日に至る間に村内の神社十九社を合祀するにあたり、明治四十二年四月七日社号を上秦野神社に改めた。
明治六年七月郷社列格・昭和八年四月指定郷社となる。
修造
   社殿は文禄三年(1594年)九月一日再建されたことが、棟札によって知られる。その後再三改造され、現在の本殿は文政四年(1821年)九月七日大工棟梁大山の明王太郎の作とされている。その後弊殿及び拝殿は大正十二年関東大震災による改修後、昭和七年風害に遭い、昭和八年三月三十一日竣工した。
例祭日
  明治四十二年までは十月十七日であったが、社号を上秦野神社と改めるのを機に例祭日を四月三日とした。
主な神事
   一月 一日  初詣、歳旦祭
 二月十一日  建国記念祭、祈年祭(二月十七日)
 四月 三日  例大祭
 六月三十日  大祓式(夏越の祓い)
十一月二十三日 新嘗祭
十二月二十三日 天長祭、頒布奉告際
十二月三十一日 大祓式
上秦野神社宮司 守屋 忠 奉納 平成二十年四月三日 菖蒲 秋山 正男 氏
境内の「上秦野神社再建四百周年奉祝事業記念碑」によると、平成七年に大鳥居銅板被覆工事、参道敷石改修工事他を行ってゐる。
雑記  小田急線渋沢駅から西北西へ1.7kmのところにある。菖蒲川(現在名は四十八瀬川)の西側で、嘗ては足柄上郡の一部だった。東側は大住郡で、菖蒲川は郡境であった。
 菖蒲村、八沢(やつさわ)村、柳川村、三廻部(みくるべ)村は、明治22年(1889)に合併し上秦野村(足柄上郡)となった。のち、西秦野村(中郡)と合併し西秦野町(中郡)となり、昭和38年に秦野市に編入された。
 萱沼村、土佐原村、宇津茂村は、明治9年(1876)に他四村と合併し寄村となり、昭和30年に松田町と合併してゐる。

 訪れたのは、神明神社から四十八瀬川の西側(右岸)の三廻部に出て南下してきたので、境内地の後方から入った。自転車なので、参拝後、来た道路に戻り、大回りして鳥居の前までやってきた。大きな、立派な鳥居だ。参道も長い。参拝した時の印象と違ふ。参道の長さは、地図の通りなのだが、地図では詳細を見ないので、実際に際して感心したのである。
 それにしても、祭神が多いなぁ。現在は松田町になってゐる地域は、神社が秦野市域になっても、そのままなのだらうか。住吉神社は三廻部に分祀したやうだが。

写真


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