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熊野神社(神奈川県平塚市長持)

作成日 平成24年12月1日
追記日 ────────
よみ  くまのじんじゃ
所在地  平塚市長持532 (北緯35度20分52.5秒  東経139度19分14.4秒)
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HP  神奈川県神社庁 神社詳細 熊野神社
祭神  伊弉諾命 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冊命 ( いざなみのみこと )
 熊野速玉命 ( くまのはやたまのみこと )
由緒  境内の掲示によると
熊野神社の起源
宝永元年(1704年)大住郡長持村二十六戸の発願により同郡土屋村小熊に鎮座まします熊野三社大権現の末社として此の地に祭祀す。 明治元年(1868年)熊野神社と改称する。

 祭神 伊邪那美命
    速玉之男命
    事解之男命
 例祭 四月五日
参拝日  平成24年3月20日(火)
雑記  先に訪れた寺田縄八幡神社からは南へ1.3km、金目川と鈴川に挟まれた位置にある。 昨年九月の台風15号により狛犬と社殿の間の木が倒れたらしい。起して枝が払ひ倒れないやう添木をしてある。

境内には細長い石が置かれてゐる。橋に使はれてゐたものといふ。掲示によると、
オーケードーの石橋
 ここにある三本の石は熊野神社北側を東西に流れる水路に架けられていた石橋の一部です。一本の重量は約五百キログラムである。 長持と大野を南北に結ぶ道路は俗にオーケードー(大街道)○○○(判読できない)○○ばれ、随所に金目川から取水した水路が横断し水は この地域の水田を潤し、その上に石を並べた橋が架けられていました。
 石は厚木七沢から持込まれたと言われ、この長さ重さから当時の建設・運搬手段(牛車・大八車)では相当な苦労があったもの と推察されます。
 この石橋は昭和八年(1933)長持ち一帯の耕地整理の折コンクリート製に変わり、以来この撤去された石橋は熊野神社境内に 移されました。人々が郷土を愛し地域の路や橋を護ってきた証としてその由来をここに記します。
 平成十九年(2007)十一月吉日

金田の歴史再発見事業活動委員会
金田小学校創立百三十周年記念実行委員会

 狛犬(平成4年)、手水鉢(平成15年)は隣地にある(株)しまむらの社長さんの寄贈。それでは、といふことでそのスーパーに寄ってみた。 東北の復興支援として東北の菓子をいくつか置いてゐた。震災は3月11日、早い対応だ。りんごを焼いた菓子と饅頭を求めた。 自転車の籠にのせ、形が崩れやしないかと気にしながら帰宅した。

 家を出たのが11時ころ、帰ったのは17時35分、走行距離37.4kmだった。


平成24年3月20日撮影 西向きの社殿

平成24年3月20日撮影

平成24年3月20日撮影

平成24年3月20日撮影 石が三本ある


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