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黒部宮(神奈川県平塚市黒部丘)

作成日 平成24年12月24日
よみ  くろべみや
所在地  平塚市黒部丘30−26 (北緯35度19分12.5秒  東経139度19分59.9秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  ─
祭神  
由緒  平塚市観光協会による掲示板が設置されてゐる。それによると、
黒部宮と唐が原
 黒部宮は源頼朝が勧請したと伝えられる古社で、建久三年(1191)八月に、同地の別当範隆寺(はんりゅうじ)とともに 頼朝夫人政子の安産祈願所になっていた。
 黒部宮を中心として門前集落が発生しており見付山とも呼ばれ、この見付山から花水川の渡渉地点を「越場(こしっぱ)」といい、 旧花水川を渡り、大磯へ続く古道があったという。
 また、この付近一帯を古くから「もろこし河原」といい、寛仁四年(1020)の秋、菅原孝標の娘がこの地を通過し、川原に咲く 大和撫子と地名を『更級日記』に書き留めている景勝の地でもあった。
参拝日  平成24年6月10日(日)
雑記  現在の花水川からは200mほど西にある。平塚駅からは西南西に1.6km、海岸からは800mの所にある。 南の方から行ったので4%くらいの上り坂になってゐた。地図をみると黒部宮のあるところは標高8m、丘の高いところで10m強 といったところ。
 平塚観光協会のwebに「現在の春日神社は、昔、「黒部宮」と称してこの地(字十間坂)にありましたが、海岸線に近いため 波浪が激しい時に流出することがあり、住民とともに現在の春日神社の地に移ったといわれています。
 黒部宮は現在もまつられ、春日神社の祭りの時には神輿がここで休息することになっています。」 とある。海岸から800mもあれば波浪が云々は関係ないが、当時の海岸線は内陸側にあったといふことだらう。推測すると、富士山の 噴火物が川を下って海岸線の前進につながったのだらうか。地震による隆起・沈降もあり得るので、実際の所は判らないが……。

 平塚の地名の起りはこの黒部宮にあるとする説がある。(1)平塚のヒラは傾斜地、崖を表し、ツカは高所をいふこと、 (2)鎌倉時代の黒部丘の北側は8m崖になってゐてその下は標高1mの低湿地とされてゐることからヒラとツカが、(3)吾妻鏡に出てくる 黒部宮平塚、範隆寺平塚が平塚の文献状の初出、といふことから黒部宮のあった地の地形が「平塚」の名前の発祥としてゐる。なお、 クロベは古代織物技術集団の呉部が転化したもの、または川などの曲流点、屈曲点を表すといふ。
 北条泰時(1241没)が旅人の便宜のために街道に柳を植えたとされる記録があることから柳町に集団移転したのは1241年以前 と推定されるといふ。(http://www15.ocn.ne.jp/~naka8/hira.html より)


平成24年6月10日撮影

平成24年6月10日撮影

平成24年6月10日撮影

平成24年6月10日撮影


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