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八雲神社(神奈川県平塚市中里)

作成日 平成25年1月7日
よみ  やぐもじんじゃ
所在地  平塚市中里138 (北緯35度19分57.5秒  東経139度19分37.3秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八雲神社
祭神  素盞男命 ( すさのおのみこと )
由緒  新編相模風土記稿に梵天社として記載がある。
 境内に次の掲示がある。
常夜燈明の由来
 この燈籠は安政三年八月二十五日花水川玉川の大洪水で上平塚が大ききんに襲はれ困窮し伊豆韮山の代官江川太郎左衛門に 年貢の免訴を願い出たところ莚半枚与える故乞食せよと拒絶され村民一同梵天社(現存八雲神社)にこもり歎願成就を祈願し 再度願い出たところ遂に免訴となったので村民一同欣喜して感謝報恩のため村民交代で毎夕常夜燈明を上げるようになった 以来八十有余年に及んだが、今次大東亜戦争の激化と共に燈火管制実施上廃止され各自が心燈を捧々げながら過ごした。
戦後に至って古来よりの風雪、変転のため燈籠の破損や散失を来したので、公民館役員(昭和四十五年十二月)協議の結果、 石材業本城正太郎氏に原形修理の復元を依頼し昭和四十七年九月現役員の協力に依り、常夜灯の由来を持ってこの碑を残すものです。
   昭和四十七年九月
上平塚地区公民館  神社部
参拝日  平成24年6月24日(日)
雑記  平塚駅からは西北西へ2.0km、先の訪問地春日神社からは北西へ800m、現在の花水川は 西側500m程の所を流れてゐる。花水川沿岸の低地からは二三メートル高い位置に神社はある。
 鳥居は碑によると、「八雲神社宮司就任記念事業 鳥居移築竣工平成十五年十二月十四日(後略)」とある。社殿は、昭和五十一年に 不審火で焼失後、同年十月に再建されたものらしい。
 庚申塔があり、立姿の三猿が彫られた板碑で、万治三年(1660)の日付があり市内で二番目に古いものといふ。
 近くには昭和初期の耕地整理までは古墳があったり、道を隔てて北側にある平塚農業高校の辺りは相模平塚城があった所といふ。
 境内の一部かどうか定かではないが東端には昭和十二年十一月の日付のある700文字から成る耕地整理の碑がある。(写真は撮ってきたが コンパクトカメラ故、画素数が大きいだけで解像度が悪く、周辺部には文字が読取れない部分がある。今確かめると、ISO400、1/220秒になって ゐたから、ISO100、1/50としてゐたら少しはましだったかも知れない。一眼レフは、重く大きいので持ち歩く気にはなれない。)


平成24年6月24日撮影

平成24年6月24日撮影

平成24年6月24日撮影 左に見えるのが碑の灯籠

平成24年6月24日撮影


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