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諏訪部神社(神奈川県平塚市諏訪町)

作成日 平成25年1月7日
よみ  すわべじんじゃ
所在地  平塚市諏訪町28-25 (北緯35度20分10.7秒  東経139度19分52.3秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 諏訪部神社
祭神  諏訪頼重 ( すはよりしげ )
 彦火火出見尊 ( ひこほほでみのみこと )
 伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冊尊 ( いざなみのみこと )
 素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 犬頭霊神 ( いぬがみのみたまのかみ )
由緒  境内の掲示には次のやうにある。
 諏訪部神社 由緒
 当社の創建年代は明らかでないが、平塚城鎮守之神として、伊幣諾尊・伊幣冊尊・素戔鳴尊・彦火火出見尊 を祀り、この地の砂丘地形の呼び名に因んで諏訪部神社と称した。
 昭和四年当時この地の所有者旧小田原藩主大久保忠礼氏がこの地域を開放して住宅地とされるに当り、現在地に 社殿を造営されたのである。
 その後諏訪町会覇者殿拡大、玉垣をめぐらして境内を整備した。合祀された守護神は、犬神神明を称しつぎの ような伝説がある。
「昔、三河国岡崎の上和田城主泰藤(大久保の先祖)が、ある日鷹狩に出て杉の大木の下で休息し、うたた寝を していた。その時頭上の枝から大蛇が鎌首をたらして、今にも泰藤をのみこもうとした。その時狩に連れてきた 犬が発見、けたたましくほえ立て主に急を知らせた。眠りを妨げられた泰藤は激怒し、犬の首を切り落した。 すると首はそのまま飛び去り大蛇ののど首にかみついた。大蛇は地に落ちのたうちまはって果てた。我にかえった 泰藤は事の成り行きを知り、この主思いの犬に深く詫び、犬神神明を称し手厚く祀り守護神としたということである。」
諏訪部神社例祭 歳旦祭   一月一日
        例大祭   七月三日
        七五三祭  十一月十五日
        大祓祭   十二月二十四日
愛知県岡崎市(旧地は上和田村西糟目森崎)の糟目犬頭(かすめけんとう)神社からの勧請らしい。同社は大宝元年(701)創建の式内社で、社名の由来 は貞和2年(1346)の上記伝説によるといふ。

お茶婆さんとある石祠について
中島孝二氏によると「地元の人は『咳の神様である。昭和三十八年に、中里の春日の中学校の西門の前あたりにあった ものを大久保公園内に移し祀ったものである。近くの茶店のお婆さんが、この祠に詣でる人々をとても親切にお世話を してくれたので、お婆さんが亡くなった後、新設にしてもらった人達が感謝のしるしとして台座にお茶婆さんと刻んで 故人を偲んだ』などと云っておられます。」(中略)「真田の天徳寺に真田与一義忠の廟所があり(中略)与一さんと呼 ばれ痰やぜんそくの神として信仰され」「真田までは遠くて常には行けない人々が近くに分霊した『与一っあん』」 が祭神であらうとしてゐる。 (私のふるさと再発見1 お茶婆さん 平塚市発行より) (天徳寺へは距離5.3kmもある)

平塚水天宮由来記
主神 天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)・安徳天皇
配神 建礼門院・二位ノ尼
(中略)
平塚水天宮は昭和二十五年二月に地域の商人達により東京水天宮から分霊してこの地に御遷座となりました
参拝日  平成24年6月24日(日)
雑記  平塚駅からは北西に1.8km、先に訪問した八雲神社からは北東へ600m。 南側は大久保公園となってゐる。プールもある。


平成24年6月24日撮影

平成24年6月24日撮影

平成24年6月24日撮影 平塚水天宮

平成24年6月24日撮影 お茶婆さんとある祠

  • 砂丘地形:東八幡から八雲神社当りまでは砂丘地形といふ。


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