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松延神社(神奈川県平塚市纏)

作成日 平成25年11月5日
よみ  まつのぶじんじゃ
所在地  平塚市纒224 (北緯35度20分27.9秒  東経139度18分46.2秒)
 地図:国土地理院ウオッちず(記号なし)  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 松延神社
祭神  面足命 ( おもだるのみこと )
 弁財天 ( べんざいてん )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 年徳命 ( としとくのかみ )
由緒  
松延神社由緒

 松延神社は、明治元年(1868)三月の太政官布告による。神仏分離令の公布以前は松延村の鎮守で、第六天社といった。 この第六天社を管掌していたのが、浄土宗の松延山信楽院宗源寺である。
 社名の第六天は、祭神の淤母陀流神(おもだるのかみ)(日本書紀では面足尊)が神世七代の六代目にあたるので、中古仏教において 本地垂迹(日本の神はインドの本地の仏が仮の姿になって出現したという)説により、仏説三十三天中の第六番目に充て第六天として祀った。
 天神(あまかみ)としての淤母陀流神は、地神五代の初代である天照大神よりも古く、淤母陀流の意味は、「天地の表面が完成される」 と解され、また面足は「不足処なく具はり整えるさま」といい満足の意がこめられている。
 よって第六天社を信仰すると願いごとが(例えば、身体健全、家内安全、商売繁昌、交通安全、学業成就等)適合(かなえ)られる 円満具足の神様として古くから崇敬されていた。
 なお、神世六代目の男神が淤母陀流神、女神が阿夜訶志古泥神(あやかしこぬのかみ)で七代目が伊邪那岐神・伊邪那美神となっている
 松延神社の祭祀の年代は未詳であるが、松延の地名の名田(みょうでん)の開墾名からして江戸時代に氏神様として創祀されたものと考えられる。
 なお、大正初期末社の弁天社、神明社(天照大神)歳徳神社を合祀された。
 因に安政年間に調製された幟には第六天王宮と記されていた。 平塚市博物館長 今泉義廣 記述
参拝日  平成25年12月2日(日)
雑記  平塚駅から西北西へ3.4kmのところにある。
 纏は明治九年に久松村(纏神社)、松延村(松延神社)、友牛村(八坂神社)が合併して生れ、松延社は松延村の鎮守。かつての例祭日は10月だったが、 現在は纏全体で例祭日を統一し、4月28日近くの日曜日としてゐるといふ。(平塚市博物館webより)


平成25年12月2日撮影

平成25年12月2日撮影


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