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八劔神社(神奈川県平塚市根坂間)

作成日 平成27年1月19日
よみ  やつるぎじんじゃ
参拝日  平成25年9月14日(土)
所在地  平塚市根坂間小宮466 (北緯35度20分12秒  東経139度18分1.8秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八劔神社
祭神  倭建之命 ( やまとたけるのみこと )
由緒  八坂神社の社頭にある案内板には次のやうにある。
八劔神社

鎮座地 平塚市根坂間466
祭神  倭建之命(やまとたけるのみこと)
境内社 八坂社(牛頭天王社)子神社(ねのかみしゃ)
例祭日 九月七日 八坂社 七月七日
神事と芸能 稲波(いなみ)御輿渡御、七月七日境外摂社八坂社の御輿祭として町内及び水田地帯を渡御し氏子の安全と豊作を祈る。
社殿  本殿(流造)2.5坪 覆殿(神明造)弊殿拝殿(入母屋造)三棟一宇 25坪 八坂社(切妻)6坪
由緒沿革 創立年代不詳だが、平安末期より、旧根坂間(現根坂間、公所河内)の総鎮守として、現根坂間と公所の中間鳥居戸に鎮座し、 八剱明神と称した。元暦元年六月当社氏子相撲新三郎家真、鎌倉将軍頼朝若宮の相撲奉仕の功により給田諸役免除…(吾妻鏡)とあり、 往昔より相撲を当社の催事とす。天正十九年(1591)御朱印三石を賜る。慶安二年(1649)根坂間郷は、根坂間、公所、河内に分村したので、 神霊も公所の熊野神社に分祀し、御朱印は二石とされ(相模風土記)寛文五年六月八坂神社のある現在地に移し、胡宮(えびすのみや)明神と称す。 寛文八年十一月社殿を新築、その棟札にも胡宮明神と記され、後宝永四年(1707)富士大噴火の年、八劔明神の古名に復し、 また例祭日は一月七日と九月七日にした。明治五年七月七日に八劔神社と改称した。 昭和十九年鐘楼及び文政元年(1817)再鋳の鐘を失なう(社務所記録)
宝物  御輿二基 相撲額一 氏子123戸 崇敬者六人
宮司  草山清和
連絡先 出雲大社相模分祠 秦野市平沢1221 0465-81-1122
雑記  東海道線平塚駅から西ないし西北西へ4.3kmの所にある。境内社の八坂神社は東海道新幹線線路の海側、八剱神社は山側にある。

 地図には、八坂神社が載ってゐるので、はじめに八坂神社を訪れた。社頭には「八剱神社」の由緒等案内板がたってゐる。八坂神社にきたはずなのだが、 と読んでみると、八坂神社は境内社となってゐる。八剱神社は新幹線の向かう側にあるはず。新幹線を横切る道でもあるのかと思って階段を上ったが、あったのは かつての途切れた参道だった。狛犬一対、幟立て、石造りの階段があるが、階段の上には資材置き場が作られてゐて登れない。その先には新幹線の囲ひと思はれる屏がある。
  熊野神社は当社から北北西へ1.7km、公所神社は同じく北北西へ1.1kmの所にある。


平成25年9月14日撮影 八剱神社社頭

平成25年9月14日撮影 拝殿

平成25年9月14日撮影

平成25年9月14日撮影 八坂神社社頭

平成25年9月14日撮影 八坂神社


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