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真田神社(神奈川県平塚市真田)

作成日 平成27年3月1日
よみ  さなだじんじゃ
参拝日  平成25年10月6日(日)
所在地  平塚市真田4 (北緯35度22分12.1秒  東経139度17分13.5秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 真田神社 真田神社(Wikpedia)
祭神  健速素佐之男命 ( たけはやすさのおのみこと )
由緒  
眞田神社

一、沿革
眞田神社は桓武天皇の後胤平国香十代三浦義継の四男岡崎四郎義実の嫡子真田与一義忠の郎党陶山文三の子孫が京都の八坂神社を勧請したという  この陶山家は代々牛頭天王社の神主を天保十二年まで勤めておりこれらの所蔵文書を今も保存されております その後神仏習合により 天徳寺が神社を管理しておりましたが明治元年の神仏分離令により明治五年より三宮比々多神社が神主を務めております

一、鎮座地 平塚市真田一丁目四番三十六号
一、主祭神 須佐之男命(すさのうのみこと)
一、別名  牛頭天王宮 八坂神社
一、歴史  創建年は不明
天正十九年(1591年)徳川家康が眞田神社に一石五斗の神領を寄進
文久三年(1863年)現在の鳥居が建立
明治三年(1870年)八坂神社に改称
明治九年(1876年)眞田神社に改称

一、祭事
元旦祭 一月一日
節分祭 二月三日
祈願祭 三月第二日曜日
虫送祭 六月第二日曜日
大祭  七月第二日曜日
感謝祭 十二月第二日曜日
月次祭 毎月第二日曜日

一、由緒
鳥居
の鳥居は明神鳥居といわれるもので高さ五米笠木約六米の花崗岩の堂々たるものである 柱の裏には文久癸亥年六月(1863年)石工大阪炭屋町見かげや 新三郎と刻まれている 傍らの添碑の文面から次のことが判る
この鳥居は瀬戸内海沿岸の花崗岩で大阪石工見かげや(御影屋の屋号)新三郎が制作し大阪より船によって三浦半島の浦賀に運び更に船で平塚の須賀湊に 運んだものである それを真田村まで近郊近在の村々が協力して運搬している その村々は中原 豊田 本郷 宮下 小嶺 平等寺 矢崎 別名北大縄 西海地 大畑 丸島と十一ヶ村である 明治維新を目の前にした幕末期商業経済もかなりの発展を見ていただろうが相州の一寒村の牛頭天王社が大阪から花崗岩の鳥居を 調達したことはやはり希有の事といわざるを得ない 近在からの厚い信仰をうけていただけでなくそれを支える財力に対し瞠目するだけである

 オノボリ交換
眞田神社の祭礼日がオノボリ交換といって手ぬぐいくらいの幟を参拝者がつくってきて古い幟と交換していった この幟を家に持ち帰り一年間自家の居間に かけ翌年の祭りには新調した幟と若干の奉納金をつけて返し再び幟と御供と祈祷札を借りて行くという こうすると夏ヤミをしない 疫病にかからないと 信じられていた
 ホオズキ市
眞田神社の例祭はホオズキ市が立った 眞田神社を崇敬していた眞田与一義忠は喘息持ちで石橋山の合戦で平家の俣野五郎と組み討ちになったとき 痰が絡んで声が出なかったため俣野の家来長尾新六に後ろから首を切られ討死したと言われています ○○生前ホオズキの根を煎じて喘息を治そうと していたことから与一を偲び眞田神社の祭礼にはホオズキ市が立ったと言われています

一、真田神社境内整備事業
真田地区区画整備事業に伴い神社境内の擁壁 玉垣 参道などの工事施工のため眞田神社境内整備実行委員会を設置神社境内の整備を進めてまいりました
 今般の神社境内整備に当たり氏子の皆様を始め崇敬者各位の寄進奉納のご協力を頂き立派な整備事業が完成しました ここに奉納された皆様に感謝し ご芳名を記載し後生に残してまいります
(中略)
   平成二十四年三月吉日
平成二十四年三月の境内整備碑の文言
眞田神社境内に奉納設置されている玉垣は天保年間(1830年)には設置されていた記録が残されております その後明治十四年 七月(1881年)氏子をはじめ近隣村々の崇敬者から寄進奉納で二百五本の玉垣が再建されております 更に昭和二十七年 (1952年)境内拡張により西側擁壁及び本殿周囲に二百七八本の玉垣を氏子はじめ近隣崇敬者からの寄進奉納で新設しております
平成二十三年真田地区の区画整理事業により西側玉垣の移設を求められ風化が激しいことから玉垣全体を再建することになりました 今般これまでに玉垣を寄進奉納されました氏子並びに崇敬者に感謝し寄進者名を後世に残すためここに記念碑を建立するものであります
雑記  小田急線鶴巻温泉駅から北西に1.4km、東海大学前駅からは東ないし東南東へ1.4kmのところにある。
 区画整理事業とあるので何をしてゐるのかとweb上で探してみたところ、基本的な計画などがあったが、よくわからない。 だういふ問題を解決しようとしてゐるのか。平塚市の計画書には、目標を「良好な市街地環境の形成と保全を図ること」としているが土地使用の制限なら 区画整理とは違ふし何を言っているのか判らない。
 2015年2月13日の湘南ジャーナルによると「昭和59年当時、(中略)無秩序な住居建造が進みつつあった真田・北金目地区を、自然と環境に配慮した住宅市街地として 形成することを目的に始まった」「総事業費約603億円をかけ、約68.6haの施行面積に総延長20kmを超える都市計画道路や生活道路、 9カ所の公園・緑地などを整備した」「今年の3月に完成」といふことであった。


平成25年10月6日撮影

平成25年10月6日撮影

平成25年10月6日撮影 昭和三年奉納

平成25年10月6日撮影


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