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八坂神社(神奈川県平塚市東八幡)

作成日 平成28年10月7日
よみ  やさかじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成27年11月1日(日)
所在地  平塚市東八幡2-6-5 (北緯35度20分42.75秒 東経139度21分14.35秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八坂神社
祭神  素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 建三熊命 ( たけみくまのみこと )
由緒  社殿造営に当っての碑があり、次のように彫られてゐる。
八坂神社の由来

  祭神   主神 須佐之男命 他四神
  所在地  八幡字粕谷道360番地 現表示・東八幡2-6-5
  境内面積 397坪(1312平方米)飛地境内・川除稲荷社 54坪(178平方米)
 当社の主神は須佐之男命をお祀りし明治初頭まで牛頭天王社と称した。牛頭天王とは印度祇園精舎の守護神で疫病防除の神と云われ、古代、仏教の渡来と共に習合して各地に天王社は祀られている。
 当地、古きの地名は相模の国大住郡八幡村である「八幡村とは八幡庄の本村にして総鎮守・八幡宮鎮座あるを以って起れり」と建久三年(西暦1192年)の吾妻鑑には記述されている。
 又、江戸時代・相模風土記に「八幡村の鎮守は牛頭天王社にて、八幡庄の総鎮守は平塚新宿八幡宮なり、八幡庄とは近郷の村々を有す」とある。。古くより当地が一社・一宮により庇護されてきた証しである。
 明治初年、神佛分離令により仏教的な社名は廃され八坂神社となる。当社が古来より人々に「お天王さん」と呼び親しまれる所以で、その崇敬は今日に至っている。

平成の御社殿造営の経過
 昭和二十年戦災で焼失した社殿を、戦後の資材乏しい昭和二十四年に再建、その社殿も築五十年を経て老朽化が進み狭隘でもあることから、遷宮の声上がり、地域挙げてその目的を達成するため平成十年に奉賛会が組織され建設の調査研究が重ねられた。続いて建設委員会を発足、募金活動を含め全氏子の熱意を総意を結集して念願の本事業が成った。
 願わくば鎮守八坂神社の加護のもと地域隆昌に栄あらんことを念じてここに記す。
(中略 事業費 委員指名 奉献者数 等)
    平成十三年六月吉日

 新編相模国風土記稿巻43の八幡村の条には、「牛頭天王社 村の鎮守なり。(平塚新宿八幡を、八幡庄の総鎮守とする故、当社を小鎮守と称す。)六月七日より十四日迄祭礼あり。泉蔵院持。」とある。( )内は割注。
 川除稲荷社は、当社から南南東へ0.45kmの国道129号線沿にある。創建の由来は、天文19年(1550)に相模川の流れで岸が削られ集落に水が迫ったが難を免れたためその断崖に稲荷大神を祀った事にはじまる[1}といふ。
雑記  JR東海道線平塚駅から北ないし北北東へ1.9kmのところにある。
  • 忠魂碑があり、陸軍大臣田中義一書。
  • 慰霊碑がある。内容未確認。
  • 鳥居は昭和四十一年建立、境内入口に狛犬、続いて鳥居、次に社殿といふ配置になってゐる。
  • 当日は、社務所で集会があり、車や人が多く写真撮影がはばかられた。


境内社の山王社・御嶽社


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