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上山下八幡宮(神奈川県平塚市山下)

作成日 平成28年10月7日
よみ  (はちまんじんじゃ) 地理院地図
参拝日  平成27年11月1日(日)
所在地  平塚市山下401 (北緯35度19分48.31秒 東経139度18分45.27秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社
祭神  仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう ) (?)
由緒  境内に由緒が掲げてある。日付は無いが、文面から、鐘を掛けた時か、その後の事と思はれる。
八幡宮 由緒

 応神天皇(誉田別命)を祭神とする上山下八幡宮は、弘安年間(1276〜87)に高麗神社より勧請されたと伝えられ、爾来、700有余年、この地に鎮座している村社である。はじめ武神として崇められた八幡神も、やがて村の鎮守として農業神的な性格と村人の除災招福を願う神として、その神威は高まっていた。
 応永二年(1390)には、住吉社を摂社として祭り、村の鎮護とともに、八幡神も家内安全から厄除、海運、また安産の神としてますます村人の篤い信仰を集めるようになった。
 天正十九年(1591)の社領一石の御朱印に続き、江戸期慶安二年(1647)にも一石八斗の加増があり由緒ある社として境内も整い、鋳造された鐘は、世の平和と村人の幸せを願い、その音色を響かせていた。しかし、その鐘も昭和十六年、第二次大戦により国に供出し、その音が途絶えていたが、平成五年、地域の繁栄を祈念し、大鳥居、鐘楼及び梵鐘が完成し、今日に至っている。
 祭事
 春の小祭 二月吉日
 例大祭  四月第二日曜日
 秋の小祭 十一月吉日

 新編相模国風土記稿巻41の山下村の条には「八幡宮 小名上山下の鎮守とす。天正十九年社領一石の御朱印を賜ひ、慶安二年又一石八斗を増、二石八斗を寄附し賜ふ。海音寺持。同下。 末社 山王。 鐘楼 文化十年再鋳の鐘を掛く。」とある。
雑記  JR東海道線平塚駅から西へ3.1kmの所にある。下山下の若宮八幡神社は、当社の東0.6kmのところにある。
 祭神は、神奈川県神社庁の神社詳細には仲哀天皇、境内の由緒掲示には、応神天皇とある。勧請元の高麗神社が、埼玉県日高市にある高麗神社の事なら、どちらでもない。大磯町に鎮座する高来神社は明治元年から同30年までは高麗神社と称してゐたので、高来神社のこととするなら、現在は主祭神ではないが、応神天皇・神宮皇后が合祀されてゐるので、応神天皇なら矛盾しない。
 向拝の扁額には「村社八幡神社」とあった。
 正面参道の鳥居には平成六年七月吉日と彫られてゐる。
 鐘には平成五年十月吉日の日付がある。高岡で鋳られてゐる。
 当日、サッカーボールを蹴る親子がゐて境内を余り見て回れなかったのは残念だった。

 当社の西隣には、「虎女住庵の蹟」の碑と案板が立ってゐた。風土記稿でも取上げられてゐるが、曽我物語でいふ高麗寺の奥にしては遠いが、高麗寺山下なので奥なのかもしれず、詳にし難いとしてゐる。


南西かどにある鐘楼


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