よみ
| きぶねじんじゃ
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参拝日
| 平成28年5月21日(土)
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所在地
| 平塚市城所343 (北緯35度22分36.28秒 東経139度19分18.46秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
| 神奈川県神社庁 神社詳細 貴船神社
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祭神
| 高龗神 ( たかおかみのかみ )
闇龗神 ( くらおかみのかみ )
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由緒
| 新編相模国風土記稿巻之46の城所村の条に「貴船社 鎮守ナリ。例祭八月十九日。城所寺持。」とある。
昭和18年に遷座してゐる。経緯について、社殿前の碑には次の様にある。
遷座記念碑
貴船神社は伊弉諾尊の御子闇龗神を祀る神名
の意義は谷の龍神で水源の神と仰がれ給ふ当
部落草創の昔北丘前原七番地に鎮座以来悠久
千年適々大東亜戦争が勃発した為め社地を海
軍用地に点定され○供の現地に奉遷と決した
ので工事を大工吉川鈴造に託し労役は氏子が
奉仕して本年八月卅日起工営々本日に至つて
竣工した乃ち氏子中相謀り事由を勒して後昆
に伝へると云ふ
昭和十八年十月十一日
村長 菅沼保之輔
区長 川口 清
区長代理 石塚 森
氏子総代 石塚新之助 松井武平
三昧広吉 瀬尾万吉
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三面大荒神社について、社殿内の掛軸と石碑に略記が記されてゐる。石碑は次のやう。
城所三面大荒神略記
抑々当大荒神鎮座ノ由来ヲ尋ヌルニ往昔城主荒木五郎時宗或夜夢中ニ告アリ黒雲甚ダシク舞ヒ下リ虚空ヨリ三面ノ神弓矢、錜鍯ヲ携ヘ顕レ出我ハ百ヶ年前築城中土に埋りアル大荒ノ神ナリ速ニ社殿ヲ造リ祭ラバ子孫繁永満足ナリト始メテ聞キ打驚キ直チニ行基菩薩ノ彫刻ニシテ其利益アラタナルハ建久三年源頼朝公ノ奥方政子殿難産ニシテ苦痛甚ダシケレバ一七日ノ祈誓ヲ籠メ満願ノ日ニ安産あり生子夜ニ至リテ急ニ哭キサケビテヤマザリケレバ又々祈願ヲ請ヒケルニ其利益忽チニシテ哭キ声止リ如此シ尓来哭荒神ト称シ普く末世ニ至ル迄諸人ノ祈ル所明白也
裏面には「昭和五十三年七月吉日 願 家内安全 氏名(六名)」とある。
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貴船神社は、城所氏の屋敷内に鎮守として祀られてゐたといふ。遷座は、昭和17〜18年に新築した社殿は標高差10mの斜面を現在地にまで下ろしたといふ。三面大荒神は、常蘇寺の観音堂に祀られてゐたが、昭和38年に同寺跡地から当社境内に遷されたといふ。[1][2]
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雑記
| 東海道線平塚駅から北北西へ8.0km、小田急線伊勢原駅からは南南東へ2.2kmのところにある。
軍用地とは、城所防空高角砲台のことで、現社殿の北100m程の所(?)に建設された。砲弾は爆撃機に届かなかったと聞いた事がある。然し、電力供給に支障が生じて撃てなかったといふ見方もあるらしい。[3]
明治期の地図を見ると「八幡社」と記されてゐる(相違の理由不明)。
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