神社訪問記HP神奈川県藤沢市

諏訪神社 (神奈川県藤沢市高倉)

参拝日 令和2年10月14日(水)
作成日 令和3年5月8日(土)
改訂日 令和6年3月6日(水)
 
よみ  すわじんじゃ  
所在地  藤沢市高倉2674
  (35度25分13.17秒 139度28分38.86秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 諏訪神社
祭神  建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
由緒  社頭の掲示には次の様に記されてゐる。
諏訪神社

藤沢市高倉字諏訪ノ上2674番地
祭神  建御名方神(建御名方富神) 八坂刀売神
境内社 天神社 八幡社 稲荷社 その他境内には二十六夜講中造立の石祠をはじめ、数基の祠が点在します。
例祭  七月二十七日(現在は、九月二十七日に近い土曜日に実施) 上高倉(旧千束村)地域の鎮守です。
 この高倉の諏訪神社は、江戸時代初期の寛永二年(1625年)、信濃国一ノ宮諏訪大社から勧請、創建されたと伝えられています。祭神の建御名方神は記紀神話によれば、大国主命の御子で事代主命(えびす様)の弟に当る神様で、諏訪湖の水の神として諏訪大社の祭神となりました。農耕の神、漁業の神、養蚕の神など御神徳の多い神様です。八坂刀売神は坂(峠)や道の神で、縁結びの神でもあり建御名方神の妃神ですが、地方神話にのみ登場する神様です。
 拝殿正面に掲げる「諏訪神社」の奉納額は、元警視総監・法務大臣を務められた上高倉出身の秦野章氏の揮毫によるものです。
 また、拝殿内には江戸時代の末期、千束村で「箭泉堂(笋泉堂とも)(せんせんどう(じゅんせんどう))」という筆学所を設け、周辺各村の農家の子弟に「読み・書き・算盤」に加え、「絵画」の指導もしていた師匠の矢沢保光(やざわやすみつ)(絵師でもあり雅号を玉秀(ぎょくしゅう)と称した)が描き、文久三年(1863年)にこの神社に奉納した役者絵の「絵馬」五点が残されています。
令和二年(2020年)三月吉日
長後地区郷土づくり推進会議
歴  史  散  策  の 会

 境内の墨書された掲示には次の様に記されてゐる。
諏訪神社

鎮座地 神奈川県藤沢市高倉字諏訪ノ上二六七四番地
御祭神 建御名方富命 (タケミナカタトミノミコト)
    (中略)
祭神  天神様 八幡 稲荷
     境内の四方に小祠が点在している
例祭  九月二十七日
由緒  千束村寛永二年(1.625年)此の地に御創建されたと伝えられる 徳川二代将軍秀忠公の頃か三代将軍家光公の時代に七ッ木村より分村 当時の戸数はさだかでないが二十戸位と推定される此の時の領主は遠藤善九郎憲次氏でありその知行高は七十五石であり元禄十五年(1702年)の村高を調べると八十五石であつた村高によつてみると千束村は江戸時代の村落規模としてきわめて小さかつたか尚ちなみに全国の平均は四百石といわれることからいかにちいさかったかが理解できる
 諏訪社、村ノ鎮守トス、例祭七月二十七日、村持、鐘楼 寛政八年ノ鋳鐘ヲカク、1796年
   新編相模国風土記並他の文献より

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 当地の事は『相模風土記』に「七ツ木村よりの分村にて元禄の改に、初て村名を載せ、七次村枝郷と傍記す…小田原分国の頃は堀和又太郎知行す。役帳に見ゆ、前村に出ず今遠藤喜七郎慶長十九年先祖善九郎重次に賜ふ、知行す」とある。伝えによると当社はその領民の祈願所として元文三年(一七三八)八月に小社殿が造営された。後には領主の参拝は廃絶したが、然しながら住民の信仰は止む事なく継統し、その信仰は更に深くなり文政初年に社殿を造営し村の鎮守とした。

 新編相模国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
諏訪社 村ノ鎮守トス例祭七月二十七日村持
 末社 天神 稲荷 八幡
 鐘楼 寛政八年ノ鋳鐘ヲカク
雑記  相鉄線いずみ中央駅から北西へ1.0km、小田急線長後駅から北東へ1.3kmの所にある。境川右岸にほぼ接してある。


 鐘楼が有り、鐘が掛ってゐる。鐘には次の文言が刻まれてゐる。
「諏訪神社の由来」
大東亜戦争に際会し昭和十九年国家に供出し爾来終戦後町内並に有志崇敬者敬神の念厚く子孫繁栄を祈願し再建を企画茲に完成奉納するものなり
 昭和五十年十二月吉日
 厚木市内の神社を巡ってゐた頃には、鐘はちょくちょく見てゐたが最近では久しぶりだった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 一の鳥居
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居

写真2 社頭
写真2 拡大 (1280×960)

社頭

猫が何頭かゐて、掲示物や社殿の写真を撮ってゐたら逃げるどころか足下に寄ってきた。人慣れしてゐる。

写真3 境内
写真3 拡大 (1280×960)

境内

灯籠は一基で文政年間の奉納。

写真4 社殿
写真4 拡大 (1280×960)

社殿

社前の灯籠一対は「平成21年9月吉日建之」と横書・算用数字で年記

写真5 社殿側面
写真5 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真6 拝殿内
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真7 鐘楼
写真7 拡大 (1280×960)

鐘楼

写真8 社殿から社頭方を望む
写真8 拡大 (1280×960)

社殿から社頭方を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.213-214
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之六十三 千束村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.03.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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