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立石神社 (神奈川県藤沢市立石)

参拝日 令和4年2月18日(金)
作成日 令和4年10月30日(日)
追記日 令和6年2月11日(日)
よみ  たていし じんじゃ
概要  当社(立石神社)は藤沢市立石に鎮座する。創建時期不詳。延宝九年(1671)に社殿造立の木札が残つてゐる。(神社庁包括外社)  
所在地  藤沢市立石3-3182
  (35度21分45.70秒 139度29分3.94秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  白幡神社web内 【兼務社のご案内】立石神社
祭神  大山祗命 (おおやまずみのみこと)
由緒  神社庁包括外神社

 境内に設置の碑には次の様に刻まれてゐる。
御大典立石神社御造営記念碑
立石神社は大山祇命をお祀りしております
創建されたのはいつの頃か明らかではありませんが延宝九年(一六七一)に社殿造立との木札が残されております 江戸時代は荘厳寺が別当寺でした 昔日照りが続き農作物は枯れ食物にも困った土地の人々は神様におすがりするしかないと雨乞いをして大山阿夫利神社より水を貰い受け豊作を祈願し子孫末代の繁栄を祈ったと伝えられています
社殿左側にある石は丹沢大山から運ばれた力石といわれ立石の地名の起源ともなったそうです 例大祭は九月十五日 氏子会の善男善女を中心に盛大に行なわれております
  平成四年九月吉日
雑記  最寄駅は、小田急電鉄江ノ島線善行駅が、当社方西(273度)へ1.0kmの所にある。

 『新編相模国風土記稿』には、別当寺だった「荘厳寺」の名は藤沢宿三箇町の一つの坂戸町(さかどまち)の条に記載があるものの、立石の地名や該当しそうな神社名は見つからなかった。

 荘厳寺は、天文年間に火災で焼失した後、別当を務めてゐた白幡神社の隣りに再建し、神仏分離令のため現在地(白幡神社から南南東へ0.4km、白幡神社は当社から南南西へ1.4km、地理院地図)に移転したといふ。(1)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居には「立石氏子中」「大正十四年九月吉祥建之」と刻まれてゐる。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 社殿に向って右手に秋葉神社と稲荷神社(立石稲荷社)がある。(写真4参照)
 石段の右側の石垣壁には「支那事変派遣軍 帰還記念 六名の氏名 起元二千六百年 昭和十五年十二月吉日成工」刻まれた板がはめ込まれてゐる。
 玉垣は平成六年施工。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿
 狛犬は大正十五年の年記がある

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 境内社
 正面にあるのは立石稲荷神社、左側に秋葉神社。

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 境内
 写真右手の赤い屋根の建物は立石公民館、平成五年に新増築された。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿前からみた境内
 手水舎の石鉢は「平成十五年九月吉日」と年記がある

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 力石。
 この石については、「丹沢大山から運ばれた力石といわれ立石の地名の起源ともなったそうです」と由緒に記されてゐる。
 石には「山神社」と刻まれてゐる。


出典・脚注
  1. 令和4年10月29日閲覧 Wikipedia 荘厳寺 (藤沢市)

改訂記録
  • 令和06.02.11 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。(2)概要欄作成と記入。(3)HP等欄に本務社(白幡神社)へのリンク。

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