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天神社 (神奈川県藤沢市天神町)

参拝日 令和4年2月18日(金)
作成日 令和4年11月6日(日)
追記日 令和6年2月10日(土)
よみ  てんじんしゃ
概要  当社(天神社)は藤沢市天神町に鎮座する。昔からこの地に天神社と神明社の二社あり 氏子崇敬者は両社大神ととなえて祭典を行って来た。天神社は創建年不詳ながら、社殿は寛保元年(1741)に造立された。区画整理事業を機に両社を合祀し、昭和52年現在地に社殿を建立した。  
所在地  藤沢市天神町2-15
  (35度22分39.05秒 139度27分42.21秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
   マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天神社
祭神  神皇産霊神
 菅原道真公
由緒  境内の石碑には次の様に刻まれてゐる。
造営記念碑

 天神社
鎮座地 藤沢市天神町二丁目十五の一
祭神  神皇産霊神 菅原道真公
由緒沿革 昔よりこの地に天神社と神明社の二社あり 氏子崇敬者は両社大神ととなえて祭典を行って来たが その由来については天神社の社殿は寛保元年(一七四一)に造立されたと伝えられる 尚天神社の鐘楼には 弘化四年(一八四七)銘の梵鐘があつたが太平洋戦争時の供出により失われ右両社共永年の風雪により損傷も甚だしかつた。
昭和四十年頃より此の地にも都市化の浪が急速に浸透し来り 地権者は等しく将来に備えて自らの手によって 区画整理による街づくりに着目し 昭和四十六年八月より 十五年余の歳月と総工費四十五億余円の巨費を投じて 総面積四十五ヘクタールの区画整理事業を完成させた この事業の一環として両社を一緒にし天神社として 現在地にその造営を図る
昭和五十二年九月 拝殿 鐘楼等が建立され 社務所 手水舎等の諸施設は昭和六十一年九月その完成を見るに至る
右経費に就いては その一部を区画整理組合より拠出されるも大部分は氏子崇敬者よりの浄財による事業達成に尽瘁された役員並びに氏子崇敬者各位の熟誠を顕彰し これを後世に伝えようとするものである
 昭和六十一年九月吉日
  全日本漬物協同組合連合会会長
  藤沢商工会議所会頭       秋本善幸撰文

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
鎮座地 藤沢市石川三二九九
祭神 神皇産霊神(かみむすびのかみ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) 合祀神=天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
由緒沿革 勧請年月日は詳らかではないが、寛保元年(一七四一)二月二十五日に社殿造立と伝える。
 地区内に神明社があり、氏子崇敬者は天神社と併せて両社大神ととなえて祭典を行って来たが、昭和四十八年神明社を当社に合祀鎮祭した。昭和五十二年の秋、社殿を造営し神域の整備が完了した。

 『新編相模国風土記稿』の石川村の条には「天神社」の社名のみ記載がある(2)
雑記  最寄駅は小田急電鉄江ノ島線の六会日大前駅で当社から北西(41度)へ1.0km余の所にある。

 住所の表示は神奈川県神社誌では石川となってゐるが、区画整理後に天神町となった。
 明治22年に石川・亀井野・西俣野・円行・今田・下土棚の六村が合併し六会(むつあい)村となり、昭和17年には藤沢市の一部となってゐる。
 六会駅(平成10年に六会日大前に改称)の名を初めて見たときは、「なんと読むのだらう、地名でもないやうだし」と思ったのを思ひ出す。読みは直ぐ判明したが、駅名の由来を知ったのは、神社訪問記を書いてゐるつい最近。50年近い年を経ての事となった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 灯籠は「昭和50年9月25日」の年記がある
 手水鉢は「昭和六十一年九月吉日 天神社氏子中」と刻まれてゐる。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿側面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 鐘楼
 社殿に向って左手にある。鐘には次の様に記されてゐる
奉納 天満宮
 石川東部土地区画整理事業に伴ない天神社に神明社を合祀し、氏子の熱意により神殿並びに鐘楼を再建し茲に証します
  奉納発起人氏名
  (三十余の氏名略)
 昭和五十年参月吉日


写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿前からの眺め
 写真には上手く写らなかったが、旗竿のあたりに富士山山頂が見える。冠雪で真っ白だった。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.216
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之六十 石川村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本)

改訂記録
  • 令和06.02.10 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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