よみ
えんぎょう はちまんぐう
| 概要
| 当社(円行八幡宮)は藤沢市湘南台に鎮座する。創立年月不詳。慶長19年(1614)に円行村芳荒に再建、天明年間に水害を受け現在地に遷座。現社殿は平成九年(1997)に再建された。
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所在地
| 藤沢市湘南台3-10-5
(35度23分36.20秒 139度27分43.49秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
マピオン(ズームレベル15)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西59km 南北55km
・+印:当社位置
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・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
・○印:本殿の位置
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社情報 八幡宮
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祭神
| 誉田別尊 (ほむだわけのみこと)
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
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由緒
正面の石垣にはめ込まれた黒い石には次の様に刻まれてゐる。
八幡宮(ハチマングウ)
祭神は、誉田別尊と素盞嗚尊が合祀されており例祭日は九月十四日です。
慶長十九年(一六一四)桐ヶ谷大膳及び全村が一致して円行南東の地字芳荒に再建しましたが、その後天明年間の水害にあい、青木伊右衛門氏の畑地を買請け現在地に造営したものです。
毎年秋の例祭には御輿渡御が行われます。
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境内に設置の改築寄進者芳名碑の背面には次の文が刻まれてゐる。
円行八幡宮 社殿建立について
円行湘南台地域は大化の改新(六四五年)によって高座郡大字円行村となり鎌倉幕府から室町江戸時代と時の領主はそれぞれ違い長い間小田原藩北條氏の版図にあったが廃藩置県によって現在に至る
記録によれば一六一四年(慶長十九年)頃円行村を差配していた桐ヶ谷大膳が八幡宮社を整え 青木伊右衛門が現在地に移したと伝えられている
古老の話によれば立て替え前の古い社殿は一九二三年(大正十二年)九月一日の関東大震災によって鳥居もろとも倒壊 以来日本が中国アメリカとの第二次世界大戦に敗北して七十有余年の風化は補修もできない状態で久しく 郷土氏神の敬神の神域としての威信も尊厳もままならなくなり たまたま一九九五年(平成六年)九月の例祭の折りに氏子有志の方々から円行地域の都市化による区画整理事業の完成もあり 八坂神社跡地の保存登記と御輿の修復事業も成り円行八幡宮社殿の再興が話題にあがり よって一九九五年(平成六年)十二月に円行八幡宮社殿造営建設実行委員会を発足させて氏子有志一同がこれを建立した
一九九七年(平成九年)九月吉日建立
建設実行委員 (略)
青木一幸 記
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『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)。
鎮座地 藤沢市円行五〇二
祭神 誉口別尊 合祀神=素蓋鳴尊
境内社 天照大神
由緒沿革 創立年月不詳。慶長一九年(一六一四)に桐ヶ谷大膳が、円行村東南の地、字芳荒に再建したが、天明年間の水害のため、当村の中央に青木伊右衛門が畑地を買請け造営し遷座がなった。大正元年十一月十五日同字内の無格社・八坂大神を合祀す。
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『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)。
| 雑記
| 最寄駅は小田急電鉄江ノ島線の湘南台駅で、当社から北東(50度)へ0.5kmのところにある。
現住居表示は「湘南台」となってゐるが、この地名は昭和41年に開業した湘南台駅の名をとったもので、区画整理事業後に引地川東側が湘南台となった。
「大東亜戦争戦没者慰霊碑」があり、十八名の氏名と戦地・没年月日・年齢が刻まれてゐる。碑背には、此の碑について次の様に記されてゐる。
此の碑は昭和十六年十二月八日大東亜戦争時当地よりこの八幡宮社殿にて祖國の守り堅しと神に念じ出征し大陸孤島洋上に於いて砲煙弾雨の中で奮戦し壮烈なる戦死をとげられた勇士十八柱の英霊を祭るもので有ります
八幡宮社殿の造営と共に終戦後十年を期に遺族有志により建立し御霊の安らかなる眠りと併せて世界平和を祈念致します
平成八年十一月吉日建之
(以下略:歌二首 遺族有志八名の氏名)
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