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左馬神社 (神奈川県藤沢市西俣野)

参拝日 令和4年2月25日(金)
作成日 令和4年11月19日(土)
追記日 令和6年2月9日(金)
よみ  さばじんじゃ
概要  当社(左馬神社)は藤沢市西俣野に鎮座する。近隣に散在する「サバ神社」十二社の一つ。元は小栗塚の台地から現在地に遷つた。(神社庁包括下に無い)  
所在地  藤沢市西俣野821
  (35度22分42.30秒 139度29分26.94秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  ─
 参考:当web内 さば神社一覧
祭神  源義朝
由緒  境内の掲示には次の様に記されてゐる。
左馬大明神(さばだいみょうじん)
 祭神は源義朝。「相風記」には「佐馬頭義朝の祠なり、神礼寺持」と記されている。元は小栗塚の台地にあり、明治の初めに現在地に移されたという。"サバ神社"と呼ばれる神社が、現在境川と引地川の流域に12社散在し、左馬、左波、鯖、左婆などの文字が当てられている。
  睦合地区郷土づくり推進会議

 『新編相模国 武蔵 風土記稿』には次の様に載ってゐる(1)
左馬明神社 左馬頭義朝ノ祠ナリ。神礼寺持。下同シ
雑記  最寄駅は小田急電鉄江ノ島線六会日大前駅で西北西(289度)へ1.9kmの所にある。

 旧地の地名の基になった小栗塚は、現在は消失してゐる。塚のあった辺りには、小栗塚の碑があり、そこは当社から西北西へ440mの道路法面上。

 上俣野村の「さば神社」について、相模国風土記稿(巻之百四)は
  「左馬明神社 村民持 (高座郡西俣野村ノ伝ニハ左馬頭義朝の霊社トイフ)」
 と当社を引いてゐる。当社の位置づけは相応のものと考へて良いのだらうか。

 御嶽神社(西俣野鎮座)前にあった、ハイキングコース案内板の記載内容には、
「小栗塚:当社から北へ 小栗判官が土葬されたと云われる場所。県道の拡張工事で三分の一の大きさになった。」 とあった。当社は明治の初めに現在地に遷ったといふので、地図を見比べてみた。迅速測図(明治19年完成)では細い道だが明治39年の測図では、太くなってゐる。39年測図では段丘崖の上は桑畑、下は水田と対照的。付近を通ったとき、水田は今も残っているが、桑畑は面影も無かった。 小栗塚は、現在は福祉施設”湘南ゆうき村”(1995年設立)になっている。当社の旧地「小栗塚の台地」は小字の小栗塚であって塚そのものではないだらう。冥界への入口として伝承されてきた塚のあった所に介護施設とは、だう考へようか。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)


写真2 写真2 拡大 (1280×960)


写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿内

写真4 写真4 拡大 (1280×960)



出典・脚注
  1. 『新編相模国風土記稿』 巻之六十 西俣野村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.09 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。概要欄作成と記入。

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