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川名御霊神社 (神奈川県藤沢市川名)

参拝日 令和4年3月24日(木)
作成日 令和4年12月25日(日)
追記日 令和6年2月7日(水)
よみ  かわな ごれいじんじゃ
概要  当社(川名御霊神社)は藤沢市川名に鎮座する。平景政公(通称 権五郎)が、村岡郷に奉斎されていた早良親王の神霊を、天慶四年(941)、当地に分祀したのが当社の創立であり、建久年間(1190〜1199)にこの地の人々が平景政公を合祀した。現社殿は平成十五年再建。  
所在地  藤沢市川名656
  (35度19分57.31秒 139度29分51.71秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
   マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 御霊神社
祭神  早良親王 ( さわらしんのう )
 平景政 ( たいらのかげまさ )
由緒  境内の碑には次の様に刻まれてゐる。
御霊神社由来
 創立  天慶四年八月(千有余年前)
 祭神  早良親王 合祀 平景政
 例祭  九月吉日
早良親王は相模平氏村岡良文の祖神なり
良文は村岡郷に住し四辺を開拓して恩恵を垂れ景政は良文の裔にして鎌倉時代武者を以て知らる因縁浅からず当所鎮護の神となす我々民族心の古里である
 昭和四十四年五月吉日建之
    川名御霊神社氏子中

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 平景政公が、村岡郷に奉斎されていた早良親王の神霊を、天慶四年(九四一)八月、当地に分祀したのが当社の創立であり、建久年間(一一九〇〜一一九九)にこの地の人々が更に平景政公を合祀した。天保六年(一八三五)社殿を改造し御霊社と称す。

 『新編相模国風土記稿』(天保12年(1841)完成)には次の様に載ってゐる(2)
御霊社 村ノ鎮守ナリ。大勝寺持。

 社殿は、再建されてゐる。平成十五年一月竣工。
雑記   最寄駅は東海道線・小田急江ノ島線藤沢駅で、当社から西北西(306度)へ1.1kmのところにある。

 風土記稿にある大勝寺はどこかと調べたら、嘉永四年(1851)に神光寺に吸収合併されてゐた。神光寺は当社鳥居前から南南西へ200m足らずのところにある。

 本日は、当社をはじめ6社を巡った。藤沢駅を出て東へ向ったので、藤沢市内1社、鎌倉市内五社だった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道
 階段の半に狛犬一対がある。「藤沢川名 氏子中」「昭和十六年九月建設」と刻まれてゐる。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面(階段を登り切った所から撮影)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿
 向って右側に境内社がある
 向って左側にある石像物は、福禄寿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 御本殿

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 境内社
 向って右は稲荷社、覆屋内に石祠がある。
 向って左は疱瘡神、覆屋内に石祠がある。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む
 ひときわ高い建物が見えるが、13階建ての集合住宅(120戸ほどのマンション)。

御朱印
御朱印 拡大 (660×960)



出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.227-228
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百五 川名村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.07 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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