よみ
かわな ごれいじんじゃ
| 概要
| 当社(川名御霊神社)は藤沢市川名に鎮座する。平景政公(通称 権五郎)が、村岡郷に奉斎されていた早良親王の神霊を、天慶四年(941)、当地に分祀したのが当社の創立であり、建久年間(1190〜1199)にこの地の人々が平景政公を合祀した。現社殿は平成十五年再建。
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所在地
| 藤沢市川名656
(35度19分57.31秒 139度29分51.71秒)
地図:地理院地図(ズームレベル15)
マピオン(ズームレベル15)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西59km 南北55km
・+印:当社位置
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・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
・○印:本殿の位置
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社情報 御霊神社
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祭神
| 早良親王 ( さわらしんのう )
平景政 ( たいらのかげまさ )
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由緒
境内の碑には次の様に刻まれてゐる。
御霊神社由来
創立 天慶四年八月(千有余年前)
祭神 早良親王 合祀 平景政
例祭 九月吉日
早良親王は相模平氏村岡良文の祖神なり
良文は村岡郷に住し四辺を開拓して恩恵を垂れ景政は良文の裔にして鎌倉時代武者を以て知らる因縁浅からず当所鎮護の神となす我々民族心の古里である
昭和四十四年五月吉日建之
川名御霊神社氏子中
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『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)。
由緒沿革 平景政公が、村岡郷に奉斎されていた早良親王の神霊を、天慶四年(九四一)八月、当地に分祀したのが当社の創立であり、建久年間(一一九〇〜一一九九)にこの地の人々が更に平景政公を合祀した。天保六年(一八三五)社殿を改造し御霊社と称す。
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『新編相模国風土記稿』(天保12年(1841)完成)には次の様に載ってゐる(2)。
社殿は、再建されてゐる。平成十五年一月竣工。
| 雑記
| 最寄駅は東海道線・小田急江ノ島線藤沢駅で、当社から西北西(306度)へ1.1kmのところにある。
風土記稿にある大勝寺はどこかと調べたら、嘉永四年(1851)に神光寺に吸収合併されてゐた。神光寺は当社鳥居前から南南西へ200m足らずのところにある。
本日は、当社をはじめ6社を巡った。藤沢駅を出て東へ向ったので、藤沢市内1社、鎌倉市内五社だった。
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