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柄沢神社 (神奈川県藤沢市柄沢)

参拝日 令和4年4月1日(金)
作成日 令和5年1月21日(土)
追記日 令和6年2月6日(火)
よみ  からさわ じんじゃ
概要  創建年不詳。源頼朝が参拝したことから信仰が広まつた。明治元年第六天社を柄沢神社と改称した。平成22年、区画整理事業による改修工事が行はれた。
 祭神は第六代天皇の孝安天皇、故に「第六天社」と称したらしい。  
所在地  藤沢市柄沢 1-12-27
  (35度21分6.02秒 139度29分52.65秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 柄沢神社
祭神  天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 孝安天皇 ( こうあんてんのう )
由緒  元 村社
 境内に設置の碑には次の様に刻まれてゐる。(西暦の数字はアラビア数字に置換へた 例:一一九三→1193)
柄澤神社由緒
鎮座地 藤沢市柄沢五一一番地
御祭神 天照皇大神 孝安天皇
由緒 創建年不詳
もとは第六天社といい、孝安天皇を祀っていた。
建久四年(1193年)右大臣源頼朝 武州入間川に狩に行く途中 当神社に参拝したことから信仰が広まり 鎌倉武士や江戸時代の領主大久保佐渡守忠保等の崇敬極めて篤く 村民もまた氏神と仰ぎ祭事を尽した
文化六年(1810年)六月 社殿を造営
文久元年(1861年)四月 社殿を造営
明治元年(1868年)三月二十八日 第六天社を柄沢神社と改称
明治六年(1873年)十二月 村社に列せられた
明治十六年(1883年)現在地に移転した
明治四十五年(1912年)四月 社殿を造営
大正十年(1921年)三月三十一日 大神宮を合併し 天照皇大神を合祀した
昭和五十年(1975年)八月十四日 鐘楼堂 不慮の火災に遭い消失
昭和五十二年(1977年)四月十五日 鐘楼堂再建並びに社殿屋根葺替完成
平成二十二年(2010年)十二月吉日 区画整理事業に依る改修工事完成
例祭 小祭 四月第二土曜日
大祭 九月第二土曜日 翌日曜日

(碑背)
奉納
平成二十二年十二月吉日建之
 石材一式 氏子 石井輝夫
 彫刻一式 (有) 青木石材店

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立詳らかでないが、建久四年(一一九三) 右大将・源頼朝が武州入間川にて狩をした道すがら当神社に奉賽をし、以来鎌倉武士及び領主・大久保佐渡守忠保等の崇敬も深く、村民も氏神と仰ぎ祭祀の礼を厚くした。明治元年、第六天社を柄沢神社と改称し、大正十年太神宮を合祀した。

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
神明宮
第六天社 以上二社共ニ村ノ鎮守ニテ例祭十一月十六日。村持。
雑記  最寄駅は東海道線・小田急江ノ島線の藤沢駅で当社から南西(214度)へ1.7kmの所にある。

 本日は、藤沢駅から当社を皮切に、藤沢市内神社五社と鎌倉市内の一社を参拝し、モノレールの湘南深沢駅に至り、7時間14500歩の神社巡りとなった。
 駅は徒歩では辛いが、バスの便が藤沢役-大船駅間に日中1時間に3本ある。当日の参拝もバスを二本利用した。

 孝安天皇は第六代天皇であるため、社名を第六天社としたらしい。旧称「第六天社」と聞くと、神仏習合時代に創建され、面足命を祭神とする神社と受取るのが普通だが、当社はさうではなかった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 向って左側には社号標が建ってゐる。平成二十二年十二月吉日建之。
 狛犬は大正七年四月吉日の年記がある。
 灯籠は大正六年九月吉日建之と年記がある。
 道路に面して左右に石像物が並んで置かれてゐる。(向って左側に四基、右側に六基)

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社殿

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 手水舎

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 恵比寿さん

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む
 右側には鐘楼がある。鐘には、明治二十六年に鋳造した鐘があったが大東亜戦争時に供出したため十余年の間鐘が無かったが有志が財を投じて再興した由、刻まれてゐる。日付は昭和二十一年九月(三十一年の誤りか、誤読か?)。柄沢神社氏子一同、文選宮司吉田正臣、とある。陽鋳された部分には、奉納者七名の氏名、日付は、昭和三十一年九月吉日、とある。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.229
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百四 柄沢村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.02.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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