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高谷大神宮 (神奈川県藤沢市村岡)

参拝日 令和4年4月1日(金)
作成日 令和5年1月29日(日)
追記日 令和6年2月5日(月)
よみ  たかや だいじんぐう
概要  慶安二年(1650)当時高谷部落約十軒の農民が五穀豊穣と郷土の安穏を祈念し建立。現社殿は平成五年に再建された。  
所在地  藤沢市村岡東3丁目379
  (35度20分34.72秒 139度30分24.59秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 大神宮
祭神  天照皇大神 (あまてらすすめおおみかみ)
由緒  境内にある石碑には次の様に記されてゐる。
高谷大神宮
祭神天照皇大神 創立慶安二年(1650年)当時高谷部落約十軒の農民が五穀豊穣と郷土の安穏を祈念し建立
その後嘉永四年(1851年)改築
再度平成二年(1990年)再建を計画
平成五年(1993年)完成し現在に至る
例祭日は十一月十五日と定められていたが農繁期のため九月十五日にかわりその後時代の推移により九月の第二日曜日となっている
 平成五年九月吉日
(碑背) 奉賛者氏名 205名 大工・鳶他建設業者氏名・事業者名  奉賛金 三千四百八拾九萬壱千円也
    平成五年九月吉日 建之 高谷大神宮建設実行委員会

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立は不明であるが、五穀豊穣と農民の安穏を祈念し、地区の鎮守神として崇められてきた。

 『新編相模国風土記稿』の高谷村の条には神社の記載はなかった。
雑記  最寄駅は東海道線・小田急江ノ島線藤沢駅で東南東(158度)へ1.8kmの所にある。

「貝帰坂寄附者連名碑」がある(写真6参照)。坂の切下げ工事に際しての寄附者を記したもの。坂については、次の様に紹介された(2)ことがあるやうだ。
貝帰坂 (かいがらさか)
高谷にあり「かいがえりさか」とも云われていました。高谷は丘陵に挟まれ、畑が東の山越えの裏河内にあり、この坂を越えて行ました。そしてここは古くは鎌倉上ノ道 (かみのみち)とされ、また近くは、大船方面から藤沢に通じる重要な道でした。名前の由来は、大船方面から来た人が、山が高く急なため帰ってしまう、とか、まだ海だった頃貝殻も越せずに戻ってしまったなど、明治28年の切り下げ工事の時の記念碑がありますが、深沢、玉縄、茅ヶ崎の人々、また藤沢では人力車組合や縁日商人組合の寄進者名があります。(貝殻の化石が出る崖があって付いた名とみられますが、今全く崩されました。)

 村岡は、明治22年に高谷村・宮前村・小塚村・弥勒寺村・渡内村・川名柄沢村が合併して成立し、昭和16年に藤沢市に編入合併されてゐる。

 神社巡り計画時には気づいてゐなかった。いまさらだが地図をみてゐたら気づいた。当社の東の平地域で東海道線の北側に、武田薬品工業(株)の湘南工場があったが2006年3月に閉鎖し、今は研究所が設立されてゐる。湘南工場には、所用で月に一度の訪問を一年程してゐたことがあった。その縁で大阪や光工場へ行ったこともあった。いま、社長を始め役員には外国人が多く、アリナミンやベンザブロックは武田薬品工業の薬ではなくなった。時が経つと、いろいろ変る。
 湘南工場(現 研究所)の住所は村岡東2丁目なので高谷村域だったと思ふが、確かなことは判らない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)


写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居の柱には「昭和六十二年四月吉日」「寄進 西野製作所 西野倫之助」とある。(西野製作所は村岡3丁目にある自動車部品用品製造の会社)

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 境内社
 稲荷社 覆屋内には朱に塗られた御本殿がある。鳥居は一つは平成十三年に東洋梱包運輸(株)の島津栄治氏が奉納、一つは狛犬(狐)と同時期の平成二十九年四月に同氏と西野博氏連名で奉納されてゐる。同社は村岡東2丁目にあり、近年設立五十周年を迎へた。
 大黒天(村岡七福神の一つ)
 石祠二基

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
碑の拡大写真 拡大 (960×1280)
 灯籠と石碑 間に階段がある(使はれてゐない)
 石碑は「貝帰坂寄附連名碑」、明治廿□八乙未年十一月建之。
 寄附者名は、小坂村・長尾村・藤沢大坂丁・藤沢大官丁・深沢村・玉縄村・本郷村・豊田村・明治村大庭・松林村・村岡村の各地に分けて記載されてゐるが寄附者に、例へば川名中・植木中の様に旧村名もみえる。金額のほか人夫○○人との記載もある。寄附者は、個人名のほか有志中・人力車中・縁日商人中、ほか○○中の表記が多く、大勢の協力があったとみえる。(坂については雑記欄参照)

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.230
  2. 令和5年1月28日閲覧 村岡の穴場・見所 藤沢 FM 放送(レディオ湘南:FM83.1MHz)市広報番組「ハミングふじさわ」 (2020 年7月 29 日放送)  第五回:村岡の穴場・見所

改訂記録
  • 令和06.02.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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