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荒神神社 (神奈川県藤沢市小塚)

参拝日 令和4年4月1日(金)
作成日 令和5年2月7日(火)
追記日 令和6年2月5日(月)
よみ  こうじんじんじゃ
概要  建武二年(1335)小塚源五左門は夢中の御告げを受け、直ちに小祀を建て小塚氏の守護神とした。爾来、同族及び近郷の崇敬厚く、後に小塚地区の鎮守とした。  
所在地  藤沢市小塚596
  (35度20分19.39秒 139度30分9.51秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 荒神神社
祭神  奥津彦神 (おきつひこのかみ)
由緒  一対の灯籠には次の文が刻まれてゐる (漢字は当用の字体に置換へた、写真7参照)。
○社殿に向って右側の灯籠
(台部分)
当社創祀ノ由来ヲ憶フニ建武二年小塚源五左門夢ニ老翁ニ会シ裏山ニ聳エル三基ノ大樹ノ辺ヲ浄メテ神ヲ祭ラバ氏孫安泰ナリノ御告ヲウケ直ニ小祠ヲ建テ小塚氏ノ守護神トナス爾来同族相齋キ拝シ近郷又相牽ヒテ参詣シソノ利生ヲ享クルニ至大也後相ハカリテ小塚部落ノ鎮守トス
(他の面に)
 天長地久 (他の面に)
 小塚宗家四十二代主 小塚源藏
 仝四十三代主    小塚熊吉
 仝四十四代主    小塚源一郎
(竿部分に)
 宗家繁栄 境内敷地奉納記念
○社殿に向って左側の灯籠
(台部分)
当郷祭神創祀以来境内敷地宗家所有地也爾来祖先遺訓ヲ継承神社ニ奉仕尚一切ノ納税義務ヲ神前ニ捧ケ来レルモ茲ニ境内敷地山林立木共ニ無償社有地トシテ上納シ以テ神域ノ尊厳保安ヲ祈願ス
 小塚源五在ヱ門尉後裔 銘記ス
(他の面に)
 五穀豊穣
 十八名の氏名
(竿部分に)
 氏子安全
 昭和十四年四月吉日

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 建武二年(一三三五)小塚源五左門は夢中に老翁に会い、裏山の三基の大樹の辺を浄めて神を祭れば、子孫安泰との御告げをうけ、直ちに小祀を建て小塚氏の守護神とした。爾来、同族及び近郷の崇敬厚く、後に小塚地区の鎮守とした。

 『新編相模国風土記稿』の小塚村の条に、神社の記載はない。
雑記  最寄駅は東海道線・小田急小田原線の藤沢駅で、当社から西(272度)へ1.4kmの所にある。社殿の後ろ(西側)には田谷藤沢線の高架道路が通ってゐる。

 手水鉢は一部が欠けてゐるが、年記に「寛政」の文字がある。
 石碑「大正拾弐年九月一日震災紀念」がある。
 村岡七福神の布袋和尚像がある。相州村岡七福神の一つ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 向って左手は「小塚町内会館」で、写真にはお祭り用の山車の一部が写ってゐる。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居は、柱に「万延二辛酉星正月吉日再建」と刻まれてゐる。(万延二年:1861年)

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿(斜め前から撮影)

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿(側面)

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿前からみた参道

写真7 写真7 拡大 (2375×640)
 灯籠に刻まれた由緒


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.229-230

改訂記録
  • 令和06.02.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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