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比々多神社(神奈川県伊勢原市三ノ宮)

作成日 平成22年11月1日
追記日 ────────
よみ  ひびた じんじゃ
所在地  伊勢原市三ノ宮1468(北緯35度24分5秒、東経139度17分2秒)
HP  比々多神社
祭神  豊斟渟尊 トヨクムヌノミコト
 天明玉命 アメノアカルタマノミコト
 雅日女尊 ワカヒルメノミコト
 日本武尊 ヤマトタケルノミコト
 相殿 大酒解神 (大山祇神)オオサカトケノカミ
  〃  小酒解神 (木花咲耶姫)コサカトケノカミ
由緒 式内社、相模国三ノ宮。
 社伝記によると神武天皇6年(紀元前655年)に社を建立し大山を神体山として豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト) を日本国霊として祀ったことにはじまるといはれてゐる。境内地北側隣接地からは縄文時代中期の環状配石が発掘されてゐる。 天正19年(1591年)以前には埒面に社殿があった。
掲示板によると、
由緒  神武天皇六年国土創建民族交流を祈念し日本国霊として当社を創建したと伝えられる 崇神天皇の御代神地 神戸を奉られ大化元年(645)社殿修復の際木彫の狛犬一対(市重要文化財)を奉納又此年に酒解神を合祀うずら瓶(県重要文化財) を納められた 天平十五年(743)大宮司に竹内宿弥の後孫紀朝臣益磨を迎えて初代宮司に任命勅して荘園を賜り真田を称す 天長九年 (832)六月国司橘朝臣峯嗣を勅使として相模國の総社として冠大明神の神号を奉られた 鎌倉時代にはいり将軍源頼朝が文治元年 (1185)に国土安泰の御願書を奉り建久三年(1192)には妻政子の安産を祈り神馬を奉納された 南北朝室町時代に戦さに巻込まれ 神領の大半を失い衰微したが徳川時代当社が相模國の名社であることを知った家康公より社領を新たに寄進され以下十四代将軍まで 続いた よって社運も持直し明治時代には社格は 社とし社格制度廃止後指定神社となる
参拝日 平成22年3月14日(日)
雑記  一度目は、伊勢原駅からバスを使って、前年の勾玉祭の時に訪れてゐる。あいにく、強い雨が降ってきて博物館に 入って雨宿りした。通常は入館料200円。そのときはとても大きな杉の木があって初めのうちはそこで雨宿りしてゐた。
 二回目の3月に訪れたときは、自転車で訪れた。杉はそれほど大きく感じなかった。何事も、最初の印象が強いものだ。
 三月十七(ひな)日には、ひな人形感謝祭を行ふさうで、テント内にひな壇が用意され200体以上の人形が飾っておかれてゐた。
 御朱印を頂くとき、お茶を入れてくださったのは嬉しかった。


平成22年3月14日撮影

平成22年3月14日撮影


・神戸  こうど。地名として残ってゐる。
・紀朝臣益麿  きのあそんますまろ


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