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東大竹八幡神社(神奈川県伊勢原市大竹)

作成日 平成23年10月20日
追記日 ────────
よみ  はちまんじんじゃ
所在地  伊勢原市東大竹1194 (北緯35度23分18秒、東経139度18分35秒)  ゼンリン地図
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社
祭神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
由緒  村社。本務社の伊勢原大神宮のwebによると、
寛文年間の創立、享保20年(1735)本殿新築、寛保2年(1742)拝殿、幣殿造営、明治6年7月30日村社に列格され、大正8年8月11日 神饌幣帛料供進の神社に指定される。
(寛文年間とは、1661年から1672年までの間)

境内に碑があり、次のやうに刻まれてゐる。
昭和四十六年三月一日 わたしたちの郷土は恵まれた自然環境とこれを守り育てた住民の努力都によって発展し 伊勢原市として誕生いたしました  草深い山村として成立って以来千数百年の歴史がこの間流れました 豊かな自然に育てられてこの地に成長した人々の性情は状況の変化にもめげず ひたすら純粋質朴な民族性を保持し続けて今日に至りました しかしこの頃の社会情勢の変化は頓に著しく起伏の美しい郷土の山野をも変えて しまうまでになりました 自然との調和を保ちながら磨き育ててきた人心も影響を余儀なくされる向きも現れはじめました わたしたちはそうした 発展の姿を受か容れてきましたが反面その中に崩れゆく人心の行末に一抹の不安も感じまま(ママ)した 新市誕生を契機に誇り高い伝統美を何らか の形で継承していきたいと念願したのもこのような情勢に由来します 郷土の鎮守八幡神社には長い間住民の心に功徳を垂れ警鐘を告げてきた 由緒ある古鐘がありました それも「鴻鐘銘」に記された如くに既に過去の余韻を伝える術もなくなりました わたしたちは住民の総意を新鐘再建 に依って伝統美の継承を実現しようと思いたちました 幸い鎮守の加護か伊勢原駅前にあった神社由縁の公会堂が市の近代化の中で発展的解消を遂げ その一部益金により総意の達成が実現しました 茲に一筆以て経緯をとどめ素志を松籟に乗せて後世に伝えるものであります
氏 子 中
参拝日 平成22年11月20日(日)
雑記  近くに「伊勢原八幡台石器時代住居跡」がある。「大山山麓の裾から南東にのびる伊勢原台地の最高位に位置し」「標高は 50メートル」といふ。昭和九年に国指定史蹟に指定されたといふ。神社の北西100メートルとそこからさらに北西150メートルの位置で 縄文時代の敷石住居跡で当時としては大変貴重な調査事例だったといふ。前者は覆土され桜が植えられて山王塚公園となってゐる。
 神社は、東大竹地区の鎮守で御神像は2体あり、本地佛聖観音と言はれてゐる。碑文にもあるが、鐘楼があるといふ。なぜか記憶に残ってゐない。
 境内には、稲荷神社、菅原神社、秋葉神社、皇大神社、八雲神社、金比羅神社があった。
 伊勢原駅の南南西1kmの所にあるが、自転車で沼目の渋田川の方から小田原厚木道路を越えてきたから、ここまで何回も上り下りがあり少々苦労した。 新編相模国風土記稿には「社地丘上にして老松陰を交へ、最も勝地なり」とある。


平成22年11月20日撮影

平成22年11月20日撮影


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