由緒
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菅原天神社由来
この地は昔から天神山と言われ小さな丘に祠が祀られていたと
言う この祠の勧請年月日は不詳であるが、十二柱神社
に次いで建てられたと思われ(延宝六年の書物調べ)
徳川時代以前のものである
一名稱は菅原神社であり大隅天神社とも言う
一祭神は菅原宇斯公(菅原道實公のこと)
一御神体は道實公の木像が安置されている
一所有地は風致林四十一坪があり宮内庁名儀であったが後に旗川家
の所有となっている
明治三十四年旗川鶴蔵等によって石の鳥居が建立されて
いたが昭和六十二年三月の大雪で崩れてしまった 明治四十三年
稲荷神社第六天社と共に十二柱神社へ一度合祀された
伝説(明治末期)
十二柱神社へ合祀されたあとたびたび天神様の御霊が
旗川家へおみえ潜り戸ががらがらと開けられ、出てみ
ても誰も見えないという珍事が続き夢にまで天神様
が見えたということで近隣の話題となった 天神様の
御霊はやはり天神山へ帰りたいのであろうということで
再び木像を戻しあらためて此処へお祀りしたところ
この珍事がぱったり止ったと言われている
其の後は旗川の天神様として大事に管理と守護を
つづけて現在に至っている 平成三年同所に県道が
計画され一部が用地となったことを契機に新たに
社殿を作りその中に祠(南無天満大自在天祠とある)
を納め現在のかたちとしたものである
追記
一菅原宇斯とは社傳によれば天神様と唱え奉り道實公
を尊して此如言えりと傳う
二社殿の前の梅の古木は天神山の裾に昔からあった
ものと言われ樹齢に百年から三百年位と推定され
天神社の御神木となっている
平成三年七月十三日 当主 旗川 勲
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