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作成日 平成28年12月3日 |
よみ | ひなた じんじゃ | ||
参拝日 | 平成28年5月8日(日) | ||
伊勢原市日向1670 (北緯35度26分9.10秒 東経139度16分35.64秒)
地図:地理院地図 いつもNAVI | |||
HP | 神奈川県神社庁 神社詳細 日向神社 | ||
祭神 | 白髯明神 ( しらひげみょうじん ) | ||
由緒 | 境内に日向神社からのご案内 として次の文章等が掲示されてゐる。(横書き) (文字の色は掲示の色に倣ってゐます)
新編相模国風土記稿巻之五十一 日向村の条に、 「熊野白髭合社 村ノ鎮守ナリ。神体共ニ木像(長各一尺四寸八分)日向薬師ヲ本地仏トセリ。霊亀二年二月、行基日向山ニ登リ、薬師像ヲ彫刻セントスル時、此ニ神出現シテ、基ニ霊木ヲ与フ。依テ爰ニ祀レル由、薬師縁起二見エタリ。(其文薬師堂条ニ出ス)例祭八月四日。両社領四石ノ御朱印ハ、天正十九年十一月賜ヘリ。薬師堂別当、城坊持」とある。 熊野社は江戸末期に合祀されたらしい | ||
雑記 | 小田急線伊勢原駅から北西へ5.5kmのところで、伊勢原駅からは日向薬師行きバスの終点から50mのすぐ近くにある。日向薬師は、当社から北へ0.4kmの所にあり、長らく修理中だったが11月20日に修理が終つて落慶法要が行はれた。
ひげの漢字は、髭(口ひげ)、鬚(あごひげ)、髯(ほおひげ)がある。当社は「髯」。漢字の意味の違ひを考へなくてよいのかもしれない。 鳥居の扁額、向拝の扁額は白髯神社とあり、拝殿内の提灯には日向神社とある。 向拝の扁額の側面には明治三十八年四月吉日と彫られてゐる。鳥居は、昭和六十一年四月吉日再建とあり、壊れた鳥居が境内におかれてゐて、嘉永二巳酉年八月の文字が読める。燈籠には文政五年とある。 高句麗の王族の若光は大磯の高来(たかく)神社近くの海岸に上陸し、伊勢原の日向(ひなた)(白髯神社がある)に一時住み、埼玉県日高市(高麗神社がある)に至った。 「霊亀1年(715)日向山に来た行基が薬師三尊像を彫るに良材がなく困っていた所、若光は香木を与え日向薬師開山に協力した。薬師の守護神として若光を祭ると供に熊野権現を勧請し、参道入口に神社を創建したのが始まりという。」[1] 由緒覧に転記した文言にある、国家神道が戦争を招いた、としてゐるのは今まで巡った神社で初めてだ。 この日、4月に購入した折畳み式自転車を初めて輪行した。電車の乗車は6.8km。伊勢原駅北口からはバスにも乗ったが、幸ひ空いてゐたので迷惑を掛けずにすんだ。バスは狭い。反省して、今回以降、持込んでゐない。帰途は全行程自転車によった。伊勢原駅前(35m)と日向薬師バス停(153m)の標高差117mあった。 電車も、朝夕の混雑時を避けるとしたら、行きの乗車は早朝か10時ころ以降、帰りの下車は16時30分ころまで。意外と制約が大きい。 |
脚注
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・H29.11 リンク追加(高来神社) |