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三島神社(神奈川県伊勢原市善波)

作成日 平成28年12月17日
よみ  みしまじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年5月18日(水)
所在地  伊勢原市善波714 (35度23分26.28秒 東経139度15分51.07秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 三島神社
祭神  大山砥之命
 倭健之命
 誉田別之命
由緒  社頭、鳥居脇の掲示には次のやうにある。
三嶋神社
御祭神 大山砥之命 倭健之命 誉田別之命
由緒  天治元年九月創建 東鑑に善波太郎特に尊崇高く当善波の郷内三嶋社御嶽社八幡社の三社あり、慶安四年一社に合併し寛文七年 現地善波太郎重氏の居蹟に移し、天正十一年北条氏より社領二貫文、天正十九年御朱印を賜う、昭和四十一年現社殿を新築、善波の総鎮守である
(中略)
連絡所 出雲大社相模分院参集殿
    宮司 草山清和
新編相模国風土記稿巻之50の善波村の条に次のやうにある。( )内は割注部分
三島社 村ノ鎮守ナリ。八幡御嶽ヲ相殿トシ、各本地仏、薬師弥陀愛染を安ス。古ハ三社、各所ニ在シヲ、慶安四年、一社トシテ御嶽山中ニ移ス。(所蔵寛文九年地頭某ガ記曰。慶安辛卯之歳、余采邑相州大住郡善波村、大明神八幡両叢祠、以在僻地小林之中、相攸御嶽草山、而共励請之、又御嶽権現叢祠、隔谷在翠微笑藪之中、因移於山之半腹、与二社併為三。)然ルニ其地山ノ中腹ニシテ、風烈ク、社頭屡破損セシヲ以テ、寛文七年、今ノ地ニ移シ、社領ヲ寄ス。此地ハ、善波太郎重氏ガ居蹟ナリト云。(曰。(28文字略))此時旧社地(御嶽山中)社守ノ宅ヲ、造営セシニ、地中ニ石槨アリ、中ニ枯骨及太刀(二口)矢鏃(一枚)瓶子等アリ。何人ノ墳墓タル事ヲ知ラズ。若クハ善波太郎ノ墓ナルニヤト。其壗埋メ置ケリ。(曰。飯塚兵庫為神社云々、(以下約100字略))八幡縁起中ニ、八幡ハ善波重氏ノ霊ヲ祀リ、御嶽ハ其妻、三島ハ重氏ノ舅、紀州熊野新宮ノ社人ヲ祀リシト。某来由ヲ詳ニ載タレド、固ヨリ妄誕ニシテ採用ニ足ズ。是ヨリ先、天正十一年五月、北条氏旧ニ因テ、社領弐貫文ノ地ヲ寄附ス。(所蔵寄附状曰。(以下約140字略))十九年十一月、社領一石ノ御朱印ヲ賜フ。社宝ニ、太刀二振(一ハ雷電落、一ハ至瑞ト号ス。是ハ石槨中ニアリシ、太刀ヲ摸シテ、鍛冶康継ノ作ル所ニテ、銘アリ。)アリ。例祭六月廿六日、九月廿九日、両日ナリ。社地ヨリ四五町ヲ隔テ、社守(一右衛門ト称ス)住セリ。寛文七年村民兵庫ト云モノ、地頭某ノ命ヲ社守トナリシヨリ、今ニ相続スト云。
雑記  小田急線鶴巻温泉駅から北西ヘ1.6kmの所ある。
 自転車で国道246号線を西へ向ひ、脇道を西北西に登って行く。比高約50m。市之坪八幡神社への登りもきつかったが、こちらもきつい。15%位の坂を上り四つ辻で休憩し水を飲干す。あとは少し緩い坂でゆっくり登る。氏子の方々も辛いだらうと思ふ。

 境内には「善波一族館址」碑、「歴代の善波氏」(年代記)説明板(平成九年)、三柱(太郎重氏、竹美姫、六太兵衛)と由緒碑(平成二十七年)、文明五年の燈籠、嘉永四年の手水鉢、境内社(諏訪社他)がある。

 社名の「島」の文字は神社庁の神社詳細ページや宗教法人名簿では「島」、扁額や由緒案内板では「嶋」と違ってゐる。どれを正とすべきかは判らない。


両部鳥居

桜が綺麗だといふ

拝殿内

扁額 左:拝殿内 右:向拝


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